Eine wienerische Maskerad' - und weiter nichts?

Oper, Wiener Walzer, ein bisschen Symphonie, usw.

#カプッチルリ没後15年 ~名バリトン ピエロ・カプッチルリの命日に寄せて~

 九響の演奏会が来週には再開されようとしている。この4か月間全く演奏会とは無縁の生活を強いられてきただけに、活動再開に対する喜びもひとしおである。17日の九響定期では邦人作曲家のプロがメインとなる。中でも小出稚子作曲の《博多ラプソディ》の世界初演ということで、ますます期待が高まる今日この頃である。

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ピエロ・カプッチルリ(シモン・ボッカネグラスカラ座)。*1

さて、今日7月12日は世界的な名バリトン、ピエロ・カプッチルリ(1929‐2005)の15回目の命日となる。カプッチルリは世界的に名高いバリトンのひとりで、特にヴェルディでその評価が高い。トリエステ出身で、1957年にミラノのヌォーヴォ劇場のトニオ(道化師)で本格デビュー、以降EMIのウォルター・レッグに見いだされて、以降国際的な名声を得た。とりわけ彼の名声が高まったのは、スカラ座1971/72シーズンのアバド指揮での《シモン・ボッカネグラ》のタイトルロールであった。カプッチルリは来日公演でもこのシモンを披露し、渋く暗い要素が強調されがちだったこの作品の再評価にも貢献している。*2

 実はこのカプッチルリというバリトンは、私の最も好きなオペラ歌手である。彼の魅力を上げだしたらきりがない。彼には豊かな声量、滑らかなレガート、幅広い声域とゆとりのある歌唱、情感豊かな表現と性格付け、卓越したブレスコントロールと息の長さ…。また彼は聴衆を沸かせることのできるエンターテイナーとしての側面も持っており、例えば1980年のウィーン国立歌劇場の《アッティラ》では第2幕のカバレッタ《賽は投げられた》では最後に高いB♭の音を長く伸ばして熱狂させ、聴衆の求めに応じてアンコールも行った。この《アッティラ》の録音は私も長い間手に入れることができずにいた盤だが、昨年ウィーンにいたときにようやくオペラ座ショップ「アルカディア」で手に入れることができた。この盤はやはりシノーポリのキレ、特にカバレッタ捌きが素晴らしい。そんな中で、タイトルロールのギャウロフを食ってしまうぐらいの勢いのあるカプッチルリの歌唱が光っているのも事実である。プロローグのギャウロフとの二重唱は互いに闘志むき出しな様子が伝わってくる。

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ピエロ・カプッチルリ(ロドリーゴ、右)とミレッラ・フレーニ(エリザベッタ)。スカラ座での《ドン・カルロ》(1977年)。*3

 私がこれまで聴いてきた中でも印象深い役はいくつもあるのだが、初めて聴いたときのジェラール(アンドレア・シェニエ)は忘れられない。これは1981年のウィーンでのライブで、サンティの指揮、ドミンゴのシェニエだったが、第3幕のアリア《祖国の敵》での圧巻の歌唱が今でも心に残っている。正直ドミンゴ目当てで聴いて、確かにドミンゴもものすごく調子が良かったのだが、カプッチルリのこのアリアを聴いて、正直そんなドミンゴが食われてしまったような錯覚を覚えたほどである。アリア最後の伸ばしもオーケストラがそれとなく鳴りやんでしばらく伸ばし続けるのを聴いて、本当に鳥肌が立つほど感動したし、このバリトンはずっと聴いていきたいと思ったほどだった。

 また、彼の録音の中でもとりわけロドリーゴドン・カルロ)は印象深かった。これもウィーン国立歌劇場のライブ(1979年)で、指揮はカラヤンカレーラスのタイトルロールにフレーニのエリザベッタ、バルツァのエボリ、ライモンディのフィリッポという最強の布陣で、中でもフレーニのエリザベッタはこれしかないと思わされるような素晴らしい歌唱だった。しかし、忘れてはいけないのがカプッチルリのロドリーゴだった。第3幕のロドリーゴの死は情感豊かに、しかし確かな遺志をもった芯のある歌唱だったし、それまでもカルロを何としても守るという強い心を持った、張りのある歌声には本当に感動させられた。

 彼の当たり役の中でもヴェルディの役は特別なもののように感じられる。上に挙げた役以外でも、例えばナブッコシノーポリ指揮、ベルリン・ドイツ・オペラ)は王としての威厳と苦悩に満ちた素晴らしい性格付けであり、彼の輝かしく堂々とした声がその風格を作っている。また、リゴレットジュリーニ指揮、ウィーンフィル)では繊細な面を強く押し出していて、父親としての葛藤がその情緒的な歌唱に込められていて、この演奏も私は大好きである。

 さて、こうしたカプッチルリの魅力をすべて詰め合わせたような役がある。それがシモン・ボッカネグラである。とりわけアバド指揮、スカラ座によるセッション録音(1977年)は大変素晴らしい録音であり、これは共演者も大変豪華なものである。アメリアにフレーニ、フィエスコにギャウロフ、ガブリエーレにカレーラスを使い、脇役の(といっても重要な役ではある)パオロにヴァン・ダムを使っている。中でもシモン役は演じ分けの難しい役で、海賊(船乗り)、総督、父親という3つの顔を演じなければならない。これをテクニックもあり、余裕があるカプッチルリの歌唱はすべて包含していると考えられる。例えば第1幕のアメリアが娘だと分かったシーンや混乱のさなかにアメリアが登場するシーン、第2幕終わりのガブリエーレに娘を与える約束をするシーン、そして第3幕の死の場面では、アメリアのことをやさしく見守る父親の姿を見せてくれる。また、第1幕第2場の反乱を鎮める場面では総督としての威厳のある歌唱。そして、全体を通して、船乗りとしての大胆さもまた持ち合わせていて、それらが互いに良い味を出しながら絶妙に絡み合い、心に訴えかけてくるような感じがする。全体を通して、感情表現の多様さ、あるいは繊細さが求められる役であり、それを忠実に彫りだしていくことができるのが、カプッチルリの凄いところであり、聴衆に訴えかけるようなところだと思う。私がウィーンで観たドミンゴのシモンも確かに感情を絞り出すような名演だったに違いないが、そこには海賊や総督としての勢いのある歌唱という観点では多少薄かったかもしれない。それでも第3幕のフィエスコとの二重唱では涙が出てきた。このカプッチルリのシモンを聴いていたら、どんな感情になったのだろう…と思いを馳せずにはいられない。

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ピエロ・カプッチルリ(イアーゴ、オテロ)。スカラ座(1976年)。この時の指揮はカルロス・クライバーオテロプラシド・ドミンゴ、デズデモナはミレッラ・フレーニだった。*4

 カプッチルリの声は張りがあり、深みがあり、さらに強弱という意味でも音階という意味でもレンジが広い。そのことによって、余裕をもった性格表現ができ、より繊細な面まで彫りだすことができる。ルーナ伯爵(トロヴァトーレ)のような役を歌わせれば強引さを前面に出すことができるし、先のジェラールを歌わせれば、強引さとともに葛藤もまざまざと描き出すことができる。彼の声は英雄的とよく言われるが、その堂々とした金色の声は多くの役でいかされてきた。彼はその持ち前の力強い美声を前提として、その安定した歌唱の上に、奥にある感情を繊細に、しかしながら時に大胆に歌い上げ、さらに豊かな声量や他のバリトンが出せないような高音といった強みで聴衆を沸かせることができる。だからこそ、彼の歌唱はよくライブ盤で聴いている。セッションももちろん素晴らしいが、ライブ盤での彼の歌唱には本当に驚かされることも多いので、是非聴いていただきたい。

 最後に私が大好きなカプッチルリの歌唱をふたつ紹介したい。

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 ジョルダーノ:歌劇《アンドレア・シェニエ》第3幕よりジェラールのアリア《祖国の敵》

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 ヴェルディ:歌劇《仮面舞踏会》第3幕よりレナートのアリア《お前こそ心を汚す者》 

 

 それでは今回はこのあたりで。

#今聴きたい歌手50選 第8回 ~マルガリータ=グリシュコヴァ~

 私の住んでいる福岡市も大雨に見舞われ、昨日は近所も避難勧告手前までいったようだ。この時期の大雨は毎年のようにあり、私も一昨年は大雨の中午前中に自転車で学校へ行き、行った先で午後の授業の休講を知らされたり、昨年は水泳の大会が2日目中止になるなど散々であった。今年はというと、バイト先から電車で帰ろうとしたら、そこで電車が止まったため、バイト先の同僚に車で送ってもらった…。いやはや、本当に災難なことである。もう少し大人しくしていただけたらとは思うのだが、自然のことなので仕方ない。

 今はメータ指揮、ウィーンフィルマーラー交響曲第2番《復活》を聴いている。歌手はソプラノがコトルバス、アルトがルートヴィヒでこちらも大好きな歌手ばかり。メータの情熱的な音楽づくり、それでいて均整の取れた合唱、コトルバスとルートヴィヒの暖かみのある歌唱。どこをとっても素晴らしい演奏だと思う。

 

 さて、今日も私が今聴きたい歌手を紹介したい。なぜか女声が多いので、今日も女声を紹介したいと思う。

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マルガリータ=グリシュコヴァ(ロジーナ、セヴィリアの理髪師)。ウィーン国立歌劇場(2019年5月)。*1

 マルガリータ=グリシュコヴァ(1987‐、ロシア)

 今日はロシア出身のメゾソプラノサンクトペテルブルク出身。2008年にルチアーノ=パヴァロッティ・コンクールで入賞するなど、数々のコンクールで入賞し、2011年に《エフゲニー・オネーギン》のオリガ役でカナダのケベック歌劇場に初登場。2012年からはウィーン国立歌劇場のアンサンブルメンバーとなり、ケルビーノ(フィガロの結婚)、イダマンテ(イドメネオ)、ドラベッラ(コジ・ファン・トゥッテ)、ロジーナ(セヴィリアの理髪師)、アンジェリーナ(チェネレントラ)、イザベッラ(アルジェのイタリア人)などのモーツァルトロッシーニを中心に活躍している。また、ウィーンでもお国もののオリガ(エフゲニー・オネーギン)も2017年から2019年にかけて歌った。また。2018年にはウィーン国立歌劇場の《カルメン》のタイトルロールを歌い、絶賛された。ウィーンを中心に活躍しているが、バイエルン国立歌劇場チューリッヒ歌劇場など、さまざまな舞台で活動している。2016年と2018年にはウィーン国立歌劇場の来日公演にも参加している。*2

 さて、そんなグリシュコヴァを初めて聴いたのは、ウィーン国立歌劇場のストリーミングの《セヴィリアの理髪師》のロジーナ役であった。彼女の声は暖かみのある美声で、とりわけ中音域の滑らかさや充実感には驚かされた。このときのアルマヴィーヴァ伯爵はフローレスが歌ったのだが、もちろん彼の歌唱が第2幕の大アリアも含めて際立って素晴らしかった。しかし、忘れてはいけないのが、グリシュコヴァの技術ーとりわけコロラトゥーラの技術ーに裏打ちされた堅実な歌唱だった。

 そして今回、ウィーン国立歌劇場のストリーミングで観た「若手歌手のガラコンサート」で彼女の歌声を再び聴くことができた。彼女の声はいつ聴いても瑞々しく、しかしながら明晰さを伴っている。彼女の暖かみのある声は、先述したようにとりわけ中音域でその威力を発揮する。ロッシーニを得意としているだけあって、もちろんその歌声は軽妙である。速いパッセージも難なくこなす。それと同時に、声の暖かさが独特の声の深みを醸し出している。軽妙さと暖かさ、滑らかさ、それに輪郭の柔らかさがある、耳に心地よい声だなと素直に思わされた。さらに、ブレスコントロールが卓越していた。そのため、低音も全く潰れることなく、むしろ丁寧で伸びやかな響きを堪能することができた。総合すると、彼女の声には知性的な面と妖艶な面の両方が備わっているのである。

 そのため、彼女のレパートリーには、確かにモーツァルトロッシーニは中心ではあるけれど、カルメンも含まれている。カルメンの自由さと妖艶さを備えた役作りをできるのに十分な能力が備わっているといえる。モーツァルトでも、先に述べたケルビーノ(フィガロの結婚)は彼女の最大の当たり役のひとつだが、そこでは芯のある若々しさが最大限に生かされている。また、ロジーナ(セヴィリアの理髪師)では、気品のある艶やかな、そして軽妙な歌いまわしがとりわけ魅力的であった。

 グリシュコヴァは今私がいちばん聴きたいメゾソプラノのひとりである。技術力に確かなものがある彼女の、さらなる活躍がとても楽しみである。「歌うことなしには生きていけない。歌うのが大好きだ」と語る*3 グリシュコヴァが、今後いたるところで素晴らしい歌唱を聴かせてくれることを期待している。

 

 今日は少し短いかもしれないが、この辺で。

 

#今聴きたい歌手50選 第7回 ~ヴァレリア=サヴィンスカヤ~

 今日は朝から結構な雨で、ヴェルディの《オテロ》を聴きたくなるような天気である。オテロの破滅し行く嵐、第1幕冒頭の嵐…。このオペラ全体がイアーゴのコントロール下における「嵐」であるのは間違いない。ヴェルディは起伏をうまく用いて、オテロの心の揺れ動き、イアーゴの皮肉のきいたパッセージ、翻弄されるデズデモナなどをうまく表現している。私の中で理想のオテロはやはりプラシド=ドミンゴ。彼ほど情感溢れるオテロを私は知らない。彼は声の力強さは勿論あるけれど、やはり感情表現の丁寧さは他の追随を許さない。今はズービン=メータの指揮、ドミンゴオテロ、ブルゾンのイアーゴ、トモワ=シントウのデズデモナというキャストで、ウィーン国立歌劇場のライブ盤(1987年)を楽しんでいる。

 

 さて、今日もまた若手歌手を紹介したいと思う。かなり今後が期待できる、かなり若手を紹介したい。実は私がこの歌手の声を知ったのは、先日のウィーン国立歌劇場の「若手歌手のガラコンサート」だった。

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ヴァレリア=サヴィンスカヤ(ベルヴェデーレ・オペラ・コンペティション、2019)*1

 ヴァレリア=サヴィンスカヤ(1998-、ロシア)

 モスクワ出身の超若手。2019年のベルヴェデーレ・オペラ・コンペティションにおいて、21歳の若さで優勝。*2 今後が非常に楽しみなソプラノである。

 私が彼女の声に触れるきっかけとなったのは、ウィーン国立歌劇場のストリーミング「若手歌手のガラコンサート」である。彼女はこのガラコンサートでモーツァルトの歌劇《コジ・ファン・トゥッテ》のアリア《岩のように動かず》を見事に歌いこなした。*3 フィオルディリージの難しいアリアだが、実に見事な表現で、このソプラノが(若手であるのは知っていたが、)こんなにも若い歌手だとは思いもしなかったほどだ(私が「岩のように動かず」という状態になってしまったほどだ)

 彼女の声を聴きながら、彼女の魅力は何だろうと考えたとき、やはり声域の広さと声量コントロールの技術だと思う。この技術がしっかりしていると、経験を積んでいくにしたがって感情表現などをうまく重ね合わせやすくなり、大物歌手として活躍できるのは間違いないと個人的に考えている。彼女の場合、声量は十分にあり、その歌唱にゆとりも見られる。フィオルディリージの難しいアリアであっても、転がすような歌いまわしから奥行きを広げて開放的な歌唱を聴かせてくれたので、本当に初めて聴いたときは驚いた。突き抜けるような高音と柔らかく奥行きがある響き(ロシア人の歌手には、オルガ=ペレチャッコやオルガ=ベスメルトナを始めとして、響きが柔らかい人が多い気がする)、それにフラットながら美しい低音も持ち合わせている。全体的には柔らかさのある、聴きやすい感じのスピントで、ベスメルトナを彷彿とさせる。ただ、ベスメルトナよりも冷たい感じを受ける美声である。フォルテで見られるような強さと、ピアノで見られるような繊細さがあり、これに感情表現をうまく絡められれば、間違いなく飛躍すると思う。

 キャリアはまだ始まったばかりの新星だが、ウィーン国立歌劇場でのデビューは何とティーレマン指揮のR. シュトラウス影のない女》(2019年10月)であった。*4 また、これからの予定としては、例えばベルリン・ドイツ・オペラでは、2020年10月のパミーナ(魔笛、ちなみに夜の女王は私の推しのコロラトゥーラ、ヒーラ=ファヒマ*5、2021年4月のフラスキータ(カルメン*6を始めとして、さまざまな役を歌うことになっている。パミーナ以外はわき役ではあるが、こうした役で経験を積んで、例えば5年後、10年後などに主役で主に歌うようになってからの基礎を作っていってほしいソプラノである。少なくとも私が聴く限りは技術力には目を見張るものがあり、これからこの技術をオペラ座という場所で、演技も絡めながら、どのように生かしてくれるのか、非常に楽しみである。

 彼女の声を聴きたい方はこちらから。5分30秒過ぎから歌い始める。

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  これを聴くだけでも、今後期待したいソプラノなのがわかる。ぜひ生で一度聴いてみたい歌手のひとりである。

 それでは今回はこの辺で。

フィリップ・ジョルダンのベートーヴェン交響曲全集

 ついにウィーン国立歌劇場のストリーミングも1日の《ファルスタッフ》をもって終わり、ウィーン国立歌劇場も夏休みに入った。もう2020年が半分も終わってしまったかと思うととても感慨深いものがある。2月までは演奏会に普通のように行き、遠方から来られたTwitterのフォロワーさんとも出会いがあり、演奏会後に楽しく飲んで音楽談議に花を咲かせていた。ところが、3月に入ってからは演奏会を一度も経験することもなく、今に至っている。ただ、このコロナ禍における生活も非常に充実していたのは言うまでもない。遠方にいる私と同年代のフォロワーさんたちとZoomで音楽について語り合ったり、これは現在も継続中だが、指揮者の先生に《ばらの騎士》について教えていただいたり、フォロワーさんとドイツ語の勉強会をしたり…。おかげで《ばらの騎士》に関してはますます好きになったし、いろいろな知識を蓄え、楽譜を眺めながら音楽を聴くなどしている。このオペラに関する興味は尽きないだろう。また、ドイツ語も今まで以上に単語や文法を学んだり、それをスピーチだけでなく、オペラなどでドイツ語を聴いたときに生かしてみたり…。すごく有意義な時間であり、関わってくださる方々に本当に感謝したい。

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フィリップ・ジョルダン(パリ国立歌劇場)。*1

 さて、そんな中、やはりベートーヴェンの音楽についても最近は触れる機会が多い。2020年は生誕250周年のアニヴァーサリー。それまで実はあまり聴いてこなかった作曲家だが、これを機に聴いてみようと思って、2月の中頃にサイモン・ラトル指揮、ウィーンフィルベートーヴェン交響曲全集を手に入れた。2月の下旬に誕生日が来たときは、高校時代の友人と一緒に街へ出て、久しぶりに顔を合わせた。彼らと別れた後、私は衝撃的な出会いをすることになる。

 

 それが、このベートーヴェン交響曲全集だった。2020年からウィーン国立歌劇場音楽監督に就任するフィリップ・ジョルダンの指揮、オケは彼が長年首席指揮者を務めてきたウィーン交響楽団。この9月から音楽監督に就任するというのに、私が完全にノータッチだった指揮者である。*2実はこの全集の存在は発売当時から知っていて、いつか聞いてみたいと思ってはいた。その交響曲全集に、私は帰り際に吸い寄せられるように入ったタワレコで出会ってしまうこととなる。

 正直買うかどうかは非常に迷った。価格もそこまで安いわけではないし、迷った。でも、何となく運命に近いものを感じながら、私は気づけばそれをクレジットカードで決済していた。

 

 しかし、購入してよかったと心底思わせるベートーヴェンだった。私が大好きな音楽づくりで、ここまで直球でついてくるような演奏はなかなかない。そもそも私の好きな演奏というのは概して、次のように言えることがほとんどである。

・指揮者独自の工夫が見られるが、決してわざとらしさのないもの。

・テンポは比較的で速めで、推進力が伴っているもの。

・こってりとどっしりと重すぎず、かといって軽すぎることがなく、適度な存在感を持っているもの。

 最後の条件は正直、私の感覚の要素が強く説明しづらいところだが、言ってみればひとつひとつの音に丁寧に当たって音楽を作っている、という感じだろうか。ジョルダンはこのすべての要素を持っていて、実に「好みドストレート」な演奏だったのである。

 

 ジョルダンベートーヴェン交響曲全集を購入して、まず初めに聴いたのが9番だった。63分の速い演奏である。第1楽章から圧倒されるような推進力を感じることができ、本当に前向きな演奏だった。初めは速すぎるのではないかと思ったが、それでもぐいぐいと彼のベートーヴェンの世界に引っ張りこまれるような、本当に不思議な響きだった。非常に前向きな音楽づくりで、心の底から元気をくれるような演奏だと思う。

 また、推進力の塊のような演奏でありながらも、きめ細やかさが光っている。細部まで微妙なアクセントや強弱表現をそれとなく忍ばせていて、全曲聴くとフレーズごとに、例えば繰り返しであっても1回目と2回目では、ささやかな違いがあって、全く押しつけがましさのない、非常に聴きやすい演奏だった。

 それに、彼の魅力はぐいぐいと手綱を絞るような速さがあっても、決して軽薄にならないところだと思う。ひとつひとつのフレーズ、音に彼の解釈を入れ込んでいて、聴いていてその響きに新鮮さを覚えたほどだった。だから、初めて聴いたときは「新鮮な響き」という言葉を何度も用いてツイートした。そして、彼はきちんと低弦を鳴らすので、重さもないわけではない。確かにネルソンスやバーンスタインなどに比べたらあっさりしすぎているかもしれないが、きちんと低音を鳴らすことで「ただ速いだけの演奏」からは一線を画し、深みが増した、情緒性も持ち合わせた演奏になっている。

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気づいたら決済を済ませ、ジョルダン / ウィーン交響楽団ベートーヴェン交響曲全集を持ち帰っていた。運命的な出会いだった。

  私はそれから1週間のうちに今まで聴いたこともなかったベートーヴェンの4番なども含め、すべての交響曲を聴いてしまうことになる。その新鮮な響きにひたすら圧倒されながら、ジョルダンベートーヴェンに入り込みながら、オペラも聴かずにベートーヴェンばかり聴いていた。それぐらい私にとっては衝撃的な出会いだった。

 私がジョルダンを聴くようになって、明らかにそれまでそれほど進んで聴こうとしなかったベートーヴェンの音楽に進んで触れようとするという変化が生まれた。そこからベートーヴェンはよく聴くようになった。でも、そのほとんどはジョルダン交響曲なのだが…(笑)。

 例えば、3番はそれまであまり興味をひかない交響曲だった。でも、ジョルダンで聴きなおしてみると、第1楽章から溢れんばかりの推進力に圧倒され、第2楽章では繊細な葬送行進曲に、他の楽章との対比の面白さを感じられた。また、第3楽章の駆け抜けるような軽快さと第4楽章の勢いと風格のある堂々とした解釈には驚かされた。

 そんな風に、聴けば聴くほど、ジョルダンの創意工夫が随所に見られ、聴いていると本当に楽しくて楽しくて仕方ないのである。テンポも速め、低音域もしっかりしているので軽くなりすぎない。押しつけがましさの全くない、すんなりと入ってくる自然体で美しい演奏。弦のキレも素晴らしいが、ショルティのように硬くなりすぎることもない。きめの細かいアンサンブルと深みのあるティンパニ。快活で前向きだが、同時に折り目正しさもある丁寧な演奏。ここまで惚れる演奏はそうそうないと思う。

 

 そういえば、YouTubeジョルダンベートーヴェンが上がっていたので紹介したい。彼の指揮ははじめ見たときは相当驚いたのだが、今から見返してみるとすごくわかりやすい。豪快で暴れているように見える指揮だが、実はアインザッツの出し方やニュアンスの伝え方が本当に秀逸なので、ぜひご覧いただきたいと思う。特にこのベートーヴェン7番、第4楽章のコーダでの弦に対する指示などはなるほどと思わせられることも多かった。

 

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 ジョルダンは2020/21シーズンより、ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任する。*3彼はそのオープニングに《蝶々夫人》の新演出初演を選んだ。これまでの藤田嗣治演出に代わって、アンソニー・ミンゲラが演出を担当する。*4ドイツ・オペラを選ぶと思っていたので、私にとってはこのチョイスは意外だった。これからウィーン国立歌劇場とどのような関係を築いていくのだろうか。非常に楽しみである。

 ジョルダンウィーン国立歌劇場を率いて、2021年に《ばらの騎士》で来日することになっている。*5このことで彼が一段と注目されることは間違いない。私もぜひ彼の演奏を、コンサートでもオペラでも生で聴いてみたい。具体的なことは決まっていないが、正直言うと、ジョルダンのためにウィーンに遠征することまで考えている。

 

 それでは今日はこの辺で。ストリーミングも終わってしまったので、今日こそ早く寝て、明日からは計画的に頑張りたい。 

#今聴きたい歌手50選 第6回 ~アンドレア=キャロル~

 今日は課題の多い日だった。来週のレポートを早々に完成させるべく悪戦苦闘しながらも、意外と早く終わり、安心してウィーン国立歌劇場のストリーミング「若手歌手のガラコンサート」を見ることができた。これを見ることは、私がまだまだ知らない期待の若手を知るためのきっかけであり、このコンサートは本当に興味深く、楽しいものだった。今まで知っていた歌手も知らない面を見いだせたり、知らない歌手の中にもひとめぼれではないけれど、今日聴いただけで惚れてしまったような歌手ももちろんいる。これから紹介していくのが楽しみである。

 そして今は、聞き逃さずに済んだウィーン国立歌劇場の《ドン・カルロ》のストリーミングを観ている。アルミリアートの指揮、カルロは先日に引き続きヴァルガス、ロドリーゴはテジエ、エリザベッタはハルテロス、エボリはウリア=モンゾン、フィリッポはパーペである。テジエのロドリーゴがとりわけ楽しみだ。

 

 今日もまた、私が今聴いておきたい歌手の紹介をさせていただく。これからが期待の歌手。今まで紹介した中で最も若い歌手である。

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アンドレア=キャロル(スザンナ、フィガロの結婚)。ウィーン国立歌劇場(2017年9月)。*1

  アンドレア=キャロル(1990‐、アメリカ)

 アメリカの若手ソプラノ、これまでヒューストンのグランド・オペラで活躍してきたほか、2015/16シーズンよりウィーン国立歌劇場のアンサンブルメンバーに加入、以降はウィーンを拠点に歌っている。*2初めはツェルリーナ(ドン・ジョヴァンニ)や天からの声(ドン・カルロ)などのわき役を中心に歌っていたが(ただ、ノリーナ(ドン・パスクワーレ)は2016年から歌っている)、2017/18シーズンにスザンナ(フィガロの結婚)、アディーナ(愛の妙薬)を立て続けに歌ってからは、主に主役での活躍が多くなっている気鋭のソプラノである。*3主にコミカルな役を演じることが多く、その若々しい歌唱はウィーンの新しい花として活躍してくれるのではないかと、今後がすごく楽しみになるような歌唱だと私は考えている。

 彼女の持ち味はふくよかながら透き通るような美声である。もともと線は細めだが、彼女のブレスコントロールの技術から、声の細さを自在に変えられる。もともとの細い声を生かせるのがジルダ(リゴレット)のような役であり、彼女自身この役を昨年5月にウィーンでも歌っている。*4可憐さと繊細さ、悲劇性などを加えた難役ではあるが、キャロルの性格付け、演技力からするとこの役はかなり似合うのではないかと推測している。

 だが、やはり私が非常に期待している彼女の役柄はスザンナ(フィガロの結婚)なのである。スザンナのようなコミカルな役は、彼女の声の軽さ、舞台上でのフットワークの軽さもあって、特徴に最もあった役なのではないだろうか。前述のとおり、彼女が大きな役でウィーンの聴衆を前に歌いだしたのは2016年のノリーナであったが、新星の主役ソプラノとして軌道に乗り始めたのは2017年のスザンナだと考えられる。私は実際にこのコロナ禍で聴いたウィーン国立歌劇場の《フィガロの結婚》のストリーミングで彼女の声に初めて触れることになったが、その張りのある若々しさとエネルギー、喜劇的な演技力、そして突き抜けるような笑い声や絶妙な声の浮かしなどのアクセントが秀逸だったイメージが残っている。確かに私の理想のスザンナ、コトルバスやギューデンと比べるといくぶん線は太く、陰影も薄いため、初めは声の特徴をうまく生かして役作りをしている印象はあまりなかったのだが、公演が進んでいくうちにどんどん調子が上がり、持ち前の上向きで明るい声と先に述べたようなアクセントをうまく組み合わせて、また舞台上での演技をも絡めながら、徐々に素朴だけれど決して存在感を失わないスザンナを作り上げていたのが非常に好印象だった。味付けをしすぎることはなく、カルロス=アルバレスの伯爵やレシュマンの伯爵夫人といった大物に囲まれながらも、自らの歌声で、演技で、そして性格付けでその存在を知らしめていたので、私の中に彼女の名前は忘れずに刻まれたのである。ちなみに当時私が知っていた中で最も若い歌手だった。

 

 本当はもうひとり紹介したかったのだが、意外と長く語ってしまったので、今日はひとりだけ。今日のようなガラコンサートで若手歌手を知る機会があるのはうれしいことだし、今日覚えた歌手を検索しまくって、今後聴くときに参考にしていきたい。

 とはいえ、ウィーン国立歌劇場のストリーミングも7月1日で終わってしまう。ストリーミングで知った歌手も多いし、生の声を切実に聴きたくなってきている。特にこれからが楽しみな20代、30代の歌手に関しては機会あるたびに何度も聴いていきたいと思っている。

 

 今後の楽しみ(ウィーン国立歌劇場のストリーミング)は何と言っても30日の《リゴレット》。フローレスマントヴァ侯爵にペレチャッコのジルダ、カルロス=アルバレスのタイトルロール。この公演は一度どこかで見たが、かなり素晴らしかった。指揮はピド。

 そして、7月1日は《ファルスタッフ》。マエストリのタイトルロールが楽しみで仕方がない。推しのコロラトゥーラ、ファヒマは当たり役のナンネッタで登場。巨匠メータの指揮を存分に堪能したい。

 

 それでは今日はこの辺で。

プラシド=ドミンゴのバリトン役に関する個人的見解

 今日はウィーン国立歌劇場ヴェルディ:歌劇《ドン・カルロ》のストリーミングを観ながら、ふと思ったことがあったのでブログを書いている。チョン=ミョンフンの指揮、ヴァルガスのタイトルロールにドミンゴロドリーゴ、フルラネットのフィリッポ。女声はストヤノヴァのエリザベッタにツィトコーワのエボリである。ツィトコーワを聴くためにストリーミングを観ているようなものである。早速ヴェールの歌がとてつもなく素晴らしかった。張りのある声、突き刺さるような勢いがエボリによく似合う。

 

 ところで、早速だが本題である。ドミンゴバリトン役についてである。ドミンゴバリトン役については、(彼の指揮ほどではないが)正直賛否あると思う。ドミンゴはもともとバリトンからスタートし、リリコのテノールを歌っていたが、本来の声質がもっと重かったことから、スピント役を中心に活躍、次第にワーグナーオテロを歌えるほどになった。また、持ち前の表現力があり、語学能力にも秀でたところがあったため、レンスキー(エフゲニー=オネーギン)も歌っている。2010年あたりから(ウィーン国立歌劇場では2011年のシモン=ボッカネグラから*1バリトン役を歌うようになり、近年はバリトンで登場している。*2

 

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筆者が見たウィーン国立歌劇場での《シモン=ボッカネグラ》(2019年3月)。このシモン役で2019年4月1日、ドミンゴは歌手として4000公演を果たした。*3左からフランチェスコ=メーリ(ガブリエーレ)、エレオノーラ=ブラット(アメリア)、プラシド=ドミンゴ(シモン)、ユン=クワンチュル(フィエスコ)。

  私が実際にドミンゴウィーン国立歌劇場で聴いたのは昨年3月のことである。そのときはシモン=ボッカネグラのタイトルロールだった。シモン=ボッカネグラは海賊、総督、そして父親という3つの顔を使い分け、演じ分けなければならない難役であるが、ドミンゴは持ち前の感情表現と「年齢に起因する声の揺れ」を用いて、非常にうまく表現していたと思う。とはいえ、やはりカプッチルリやヌッチのシモンとは明らかに異なる歌いまわしである。彼は「シモンは引退する前に歌ってみたかった役」であるとしており、「バリトンのふりはせず、テノールとして今まで培ってきた表現力が、シモンの魅力を大いに引き出してくれる」と強調する。*4

 実際彼は明らかに「テノール」を歌う歌い方でシモンを歌っていた。それはある意味、ヴェルディバリトンと呼ばれる歌手が歌うシモンよりは「軽い」ものであり、深みが欠けている感じはするが、そこには感情表現が前面に押し出されている。彼はバリトンではないし、本人もバリトンらしく歌うことはしていない。ただ、テノールとしてシモン像を新しく作り上げたのだと思う。だから、これまでバリトンの歌うシモンを聴いていると、ドミンゴのシモンを聴いたときに違和感を感じるのは、ある意味当たり前のことである。

 ドミンゴのシモンは、あくまで個人的な見解だが、前述の3つの顔を、加齢による声質や歌い方の変化を自分自身で知ったうえで、それをうまく生かして表現しているように感じられた。加齢により、どうしても往年の声の安定感は失われている。それは仕方のないことだと思う。ドミンゴはこの「声の揺れ」「少し大きくなったビブラート」をうまく感情の揺れ、葛藤と対応させて歌い上げた。だから、私としては、このシモンを聴いたことは一生の思い出となった。大好きなカプッチルリのシモンとは明らかに異なる、テノールからのアプローチと自らの声の変化を、それがたとえよくない方向の変化だとしても、うまく生かした感情表現、持ち前の陰翳をたたえた中低音を土台にした役作りには、素直にこのレジェンドの凄さを全身で感じることができた。また、実際に舞台姿を見て、出待ちですぐ目の前にしたとき、全身から放たれるレジェンドのオーラを存分に感じられ、それだけでも身震いがした。彼の舞台姿は、立ち居振る舞いからして、彼は他の歌手とは明らかに異なっていた。私もそうであったが、そのオーラは実演に触れて初めて分かるものだと思う。

 

 個人的に、この「声の揺れ」を生かした葛藤や心の揺れの表現がはまった役だと思っているのが、ジェルモン(椿姫)や父ミラー(ルイザ=ミラー)である。やはり歳をある程度重ねた役のほうが、私としてはあっているような感じがする。心情が状況によって変化しやすいこうした役を演じるとき、彼の今の声の、ある意味繊細なところが試されていると思う。そして、幅が幾分大きくなってしまった彼の声が、登場人物の心の動きとマッチした時、やはり私が聴いたシモンのような凄みを体感できるのだと思う。

 しかし、やはり声の揺れが似合わない役というのももちろんある。それは芯がしっかりとした役であり、力強さや強引さを求められる役だと思う。例えばロドリーゴドン・カルロ)、ルーナ伯爵(トロヴァトーレ)などである。ロドリーゴはカルロの身代わりになって死ぬぐらい、カルロを守ろうとする一貫性があり、芯が強い役であるし、ルーナ伯爵は何としてもレオノーラを得たいと燃える強引さを備えた役だと思う。こうした役には、今のドミンゴの力や勢いよりは、むしろ心の奥にあるものを魅せる歌唱は似合わない。ロドリーゴにしろルーナ伯爵にしろ、私にとっての理想はカプッチルリだが、彼は輝かしく、張りのある力強い声を前提として持ったうえで、奥にある感情を絡めて歌い上げる。その張りのある声は今のドミンゴには残念ながら見られない。

 

 私がここで強調したいのは、ドミンゴはここ最近のバリトン役に、バリトンとして歌うのではなく、これまで通りテノールとしてアプローチしているということである。当然今までバリトンで聴いてきた役をテノールで聴かされるわけなので、違和感はある。ただ、これもこれで一種のスタイルだと思う。ドミンゴは今年で79歳になった。当然往年の輝かしい声は失われつつある(そもそもまだそれが健在だったら、今もテノールをしているはずだ)。ドミンゴ自身それを知っているのだろう、逆に声の揺れや不安定さを生かした感情の揺れの表現を、これまで培ってきた舞台での技術と総合して、バリトン役を演じているに違いない。それにはもちろん賛否あると思うし、今までのバリトンが演じてきたバリトン役のスタイルとは明らかに異なるので、それも当然のことなのだ。ただ、ドミンゴは彼独自の演じ方、魅せ方で、バリトン役を歌い続けている。

 

 ドミンゴウィーン国立歌劇場で2020/21シーズンはシモン=ボッカネグラ(2020年9月)、ナブッコ(2021年1月)を歌うことになっている。シモンはフィエスコを演じるグロイスベックとの共演が注目されそうである。ナブッコについては若手、気鋭のモンゴル人バリトン、エンクバット=アマルトゥフシンとのダブルキャストである。このナブッコでアマルトゥフシンはウィーン国立歌劇場デビューを飾る。*5

#今聴きたい歌手50選 第5回 ~タチアナ=セルジャン & ジンシュ=シャホウ~

 最近何かと忙しくて、ブログの更新をできていなかった。今日も課題に追われていたが、無事今日の予定は終わったので、こうしてウィーン国立歌劇場の《マクベス》のストリーミングを観ながら、ブログを書いている。

 昨日は久しぶりに遠出をした。しかも自転車で。結構走らせたため、今日は脚が筋肉痛である。なかなか充実感のある1日だった。久しぶりに運動という運動をした気がする。私はいつから運動部ではなくなったのだろうか、とも思えるほどの疲労感だった。

 

 さて、今日もオペラ歌手の紹介をしていきたい。第1線で活躍を続けていて、私がぜひ実演で聴きたい歌手をひとり、そしてこれからが楽しみな期待の若手をひとり紹介しようと思う。両歌手とも今聴いている《マクベス》に出演しているところである。

 

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タチアナ=セルジャン(マクベス夫人、マクベス)。ウィーン国立歌劇場での新演出プレミエ(2015年10月)。*1

 タチアナ=セルジャン(?-、ロシア)

 サンクトペテルブルク出身の期待のソプラノである。彼女はマクベス夫人(マクベス)やアビガイッレ(ナブッコ)、オダベッラ(アッティラ)といった、ヴェルディの女性役の中でもとりわけ声量と圧力が求められる難役を得意としている。高音はやや弱いかもしれないが、それでも十分に迫力を備えており、かなり充実した中音域はこうしたドラマティックな歌唱を要求される役を無理なく演じる土台となっていることは間違いない。

 ただ、彼女の場合、確かに声量もあり、力強さを備えているのだが、ピアノの繊細さについても忘れてはいけない。セルジャンの弱音は線が細く、繊細な感情表現、とりわけその悲劇的要素を表現するのにもってこいなのである。マクベス夫人(マクベス)では、確かに第1幕のアリアに見られるような力強さは魅力的だが、それ以上に第4幕の夢遊の場は絶品である。

 聴いていてどことなくマーラ=ザンピエリを彷彿とさせるこのソプラノの当たり役は、やはりザンピエリのそれと重なっていて、先に述べた3つの役のほかにも、トスカ、マッダレーナ(アンドレア=シェニエ)、アメリア(仮面舞踏会)などであり、いずれもスピントの重役である。とりわけヴェルディの、先に挙げたマクベス夫人(マクベス)での評価が高い。指揮者で言えば、ムーティとの共演回数が多く、彼女もヴェルディのオペラに関して、多くの知見を得たようである。*2 今後絶対に聴いていきたいソプラノである。

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ヴェルディ:歌劇《マクベス》第1幕よりマクベス夫人のアリア《さあ、急いでいらっしゃい》

 

 続いては、新進気鋭のテノールをご紹介しよう。

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ジンシュ=シャホウ(マクダフ、マクベス)。ウィーン国立歌劇場(2019年5月)。*3

 ジンシュ=シャホウ(1990‐、中国)

 中国出身の新進気鋭のテノールである。よく伸びる高音と滑らかで美しいレガート。非常にリリックに歌える、情緒的な歌唱が魅力的なテノールである。ウィーン国立歌劇場には2012年に初登場、以降この歌劇場にとって非常に大切なテノールとなっていることは間違いない。初めは端役から歌いだしたが、今ではロドルフォ(ボエーム)やネモリーノ(愛の妙薬)、ラミーロ(チェネレントラ)、ドン・オッターヴィオドン・ジョヴァンニ)などの主役を歌う機会が増えている。*4

 私が初めて彼の声に触れたのは、ウィーン国立歌劇場のストリーミングで観た《ボエーム》のロドルフォだが、以降イタリア人テノールばらの騎士)などの役を聴いたとき、突き抜けるように伸びる高音の美しさには惚れ惚れとさせられた。どちらかというとあっさりとした歌い口で、癖もなく、発音も明晰で聴きやすい。今後も引き続き、ウィーン国立歌劇場を中心として、さまざまな役で活躍してくれるだろう。

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 プッチーニ:歌劇《ボエーム》第1幕よりロドルフォのアリア《冷たい手を》

 

 このストリーミング生活もあともう少しで終わると思うと、いかに恵まれていた環境かと思わざるを得ない。来月からは演奏会に行く機会もできたのは素直に嬉しい。ただ、まだまだ新型コロナウイルスに関しては予断を許さない状況ではある。今後もマクベス夫人のようにしっかりと頻繁に手を洗い、しっかり感染症予防しながら、音楽も楽しんでいければと思う。

 

 それでは今日はこの辺で。