Eine wienerische Maskerad' - und weiter nichts?

Oper, Wiener Walzer, ein bisschen Symphonie, usw.

一期一会の世界に恵まれて ~2023年 演奏会総括~

 2023年も今日大晦日を残すのみとなった。これまで演奏会記録はTwitterにつけてきており、ブログという形で纏めたことはなかったが、今回学生時代最後の年度でもあるし、今年1年についてゆっくり振り返りたく思い、ブログで纏めてみることにした。

 今年は海外オーケストラ、国内オーケストラを中心に、55公演に触れることができた。その中でも、特に感動した演奏会について今日は振り返りたい。

今年4月の東京・春・音楽祭、プッチーニ《トスカ》。長年の目標だった「ブリン・ターフェルのスカルピア」を聴けて感無量だった。「これぞレジェンド」と思わせられる圧巻の歌唱だった。



1.海外オーケストラ

 まずは海外オーケストラの公演を振り返りたい。海外オーケストラには、合計7公演足を運んだ。その中でも特に感動した3公演を、時系列順にピックアップしたい。

 

①ラハフ・シャニ/ロッテルダムフィルハーモニー管弦楽団@大阪

 長い間聴きたかったシャニの実演に触れたのが、6月のロッテルダムフィルハーモニー管弦楽団の来日公演だった。プログラムはチャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲(Vn: 諏訪内晶子)と交響曲第6番《悲愴》を軸にしたもの。コロナ前以降久しぶりの実演となった諏訪内晶子の官能的で絡みつくようなチャイコフスキーに酔いしれただけでなく、何よりシャニが構築するチャイコフスキーの精緻さに感銘を受けた演奏会だった。均質なカンタービレで歌わせる主題を軸にしながら、整った響きの中で拘られた細やかなテクスチュアの移ろい、的確なアクセント付けで意識される主題の展開、歌う旋律同士が有機的に結合するチャイコフスキーの美質を最大限に生かしただけでなく、終楽章に向けた無理のない極致設計も鮮やかだった。何という美しい《悲愴》だろうか。こんなチャイコフスキーが聴きたかった。それを叶えてくれたシャニには感謝しかない。無念の中止となった11月のイスラエルフィルハーモニー管弦楽団も聴きたかった。

 

②シルヴァン・カンブルラン/ハンブルク交響楽団@福岡

 前述するシャニのチャイコフスキーを聴いた後、1か月でまたしても理想的なチャイコフスキーを聴く幸運に恵まれた。それがシルヴァン・カンブルランとハンブルク交響楽団による交響曲第4番だった。実はこの曲こそ、チャイコフスキー交響曲の中で最も好きな曲である。弦主体に精密に設計され、対位的な充実をこれでもかと魅せられては、「感動を超えて大感謝」という当時のツイートの言葉にも今更納得するしかない。爆発的な演奏に陥りやすいこの曲の、特に苛烈な主題に挟まれた沁みいるような叙情を自然ににじませながら、金管が突出せずに均整の取れた響きの中で劇的な物語を生み出した演奏にはひたすら感銘を受けるばかりだった。また、前半に演奏されたショパンの協奏曲でも、それまで面白さを見出せなかったこの曲に、独奏ピアノと管楽器の対話という魅力を見出せたのも、甘い情感表出を排し、金管ナチュラル楽器を使いながら室内楽的に設計するというカンブルランのアイディアがうまく楽曲と結びついたからであろう。

 

トゥガン・ソヒエフ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団@ソウル

 11月にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団をソウルまで聴きに行ったことは、間違いなく今年のいちばんのハイライトとなった。指揮者のトゥガン・ソヒエフは確かに定期的にNHK交響楽団を振りに来ているが、私はどうしてもウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で聴いてみたかった。以前に配信で聴いたチャイコフスキー: 交響曲第4番が、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の響きを大切にしながらも、ソヒエフの独特な解釈を再現した素晴らしい演奏であり、ソヒエフがこの楽団と良好な関係を築いているように思われたからである。

 本当に行って良かったと思う。粘り強く歌を引き出すソヒエフ、光沢感と濃厚な艶を表出するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。両者の良さが対立するのではなく、互いにそれぞれの良さを理解した上で尊重しながら、片方だけでは決してたどり着けない高みにホール全体を連れて行ってくれた体験だった。特に2日目のベートーヴェン: 交響曲第4番とブラームス: 交響曲第1番は、この2曲で軽重、リズムと叙情などの対比を作りつつ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が伝統的に持っている固有の響きを最大限に生かしながら、それを尊重するようにソヒエフが粘り強く潜らせるような歌い込みと重戦車のような低い重心でたっぷり情感を吹き込んでいて圧倒的だった。それだけでなく、両者が音楽を心から楽しんでいる様子が音楽からも感じ取れ、聴いている私もその極上の響きに包まれてとても幸せだった。こんな演奏をまた全身に浴びたいと思わせられる演奏会だった。

パーヴォ・ヤルヴィNHK交響楽団で聴いたリヒャルト・シュトラウスアルプス交響曲》は、この楽曲に対する理解を深めることになった素晴らしい演奏だった。NHK交響楽団の聴衆が久々にヤルヴィを迎えた喜びも、カーテンコールに居合わせて存分に感じ取ることができた。

2.国内オーケストラ

 国内オーケストラは、地元の九州交響楽団を中心に通いながらも、遠征などを通じて在京オーケストラ、名古屋、関西と幅広く聴くことができた1年だった。コロナ禍では全くなかった声楽作品も多くなり、かなりレパートリーも広げることができた1年だったと思う。バッハ《ミサ曲ロ短調》、メンデルスゾーン《讃歌》、ベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》、ロイド・ウェッバー: レクイエム、ブラームスドイツ・レクイエム》…宗教曲にも多く触れられた1年だった。以下、特に感銘を受けた5公演を時系列順に振り返る。

 

ユベール・スダーン/九州交響楽団(2月定期)

 スダーンを初めて聴いたのが、今年2月の九州交響楽団定期演奏会だった。この演奏会では、九州交響楽団のポテンシャルが遺憾なく引き出されたのではないか。メイ ンのシューベルト: 交響曲第8番(D944)では、木質の響きと弾むリズム、愉悦に満ちた繰り返しが幸せだった。この曲自体は実は長い間苦手としていたが、この実演を機に、こんなに楽しい曲だったのかと驚かされたものである。バッハに通じるような軽やかさとシューベルトの歌心を両立した演奏だったが、終楽章の怒涛の追い込みもまた非常に胸が熱くなるハイライトだった。これまで掴めなかった曲に楽しさを見出せるようになる。これこそ実演の醍醐味かもしれない。

 

パーヴォ・ヤルヴィ/NHK交響楽団(4月A定期)

 リヒャルト・シュトラウスアルプス交響曲》は、言うまでもなく私の最愛の楽曲のひとつだが、4月にパーヴォ・ヤルヴィNHK交響楽団と描いてくれた音風景は実に鮮やかで、説得力のある名演だった。ヤルヴィは明晰な響きで果敢に登山者を突き進ませていくが、頂上にたどり着いた瞬間にテンポをグッと落として眼下の世界があまりに壮大であることを突き付けてきたのである。この瞬間、私には自然のスケールの大きさと人間の相対的な小ささが鮮明に対比され、ヤルヴィの解釈がストンと腑に落ちた感覚だった。下山後のしっとりとした質感の哀歌には、自然に圧倒された人間の登山の名残惜しさが存分に感じられ、これはまさに「アンチクリスト」の名演だったのではないか。

 

鈴木秀美/名古屋フィルハーモニー交響楽団(6月定期)

 間違いなくこの1年、演奏会で最も幸福な瞬間は鈴木秀美/名古屋フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》の「ベネディクトゥス」で舞い降りてくるヴァイオリン独奏を聴いたときだっただろう。「クレド」「グローリア」での積極的な信仰告白が報いられ、天上からシルクのように柔らかく品のある光沢を帯びたヴァイオリン独奏が螺旋階段のように舞い降りる。この瞬間ほど幸せな瞬間はなかっただろう。全体として完全なピリオド・アプローチだが響きに温かさがあり、心の中の空気が全て入れ替わったような清々しさがあった。鈴木秀美の演奏会に触れるたびにさまざまな発見をしてきたが、この《ミサ・ソレムニス》でもテクストと楽器の結びつきが充実しており、新鮮な感動を得ることができた。国内オーケストラの演奏会では、今年いちばん印象深かったといって間違いない。

小泉和裕の演奏会には数多く触れてきたが、中でも東京都交響楽団とのブルックナー: 交響曲第2番の演奏はその真骨頂だった。魅力が全て出た感動的な名演。聴いた後しばらく鳥肌が収まらなかったのを、昨日のことのように思い出す。

小泉和裕/東京都交響楽団(10月B定期)

 小泉和裕は何度も書いている通り、私が最も聴いてきた指揮者であるが、その魅力は主題回収に重きを置いたぶれない解釈と堅牢に構造を掴む骨太の音楽にあると言って良いだろう。だからこそ聴く度に新たな発見が必ずある。

 10月に東京都交響楽団で聴いたブルックナー: 交響曲第2番は、小泉和裕の真骨頂だった。間違いなく、今まで聴いた小泉和裕の演奏会で最も解釈の再現度が高かった。ブルックナー交響曲第2番は、彼の交響曲の中でも大好きな曲のひとつだったが、解釈も納得感のある安定したものだった。明確に刻んだリズム動機に、濃厚にテヌートした旋律が有機的に対話し、高密度のトゥッティに生命力が吹き込まれ続ける。展開するたびに熱を帯びる小泉和裕の指揮。旋律が次々と実を結び、開放感のあるフィナーレに至ったときには茫然自失で、思わず涙ぐんでしまった。一方、丹念に掬いながら織り込んでいく第2楽章も息を呑むほど美しかった。小泉和裕の大好きなところが存分に出た、感動的な演奏会だった。このコンビは今後も定期的に聴いていきたい。心の底からそう思った。

 

小泉和裕/九州交響楽団(12月定期)

 小泉和裕九州交響楽団音楽監督をしていることは、明らかに楽団にプラスに働いていると思う。その理由が、大編成と声楽付き作品にある。どのようなホールでも確実に響きを作る小泉和裕の職人的な技術が、九州交響楽団のアンサンブル力を高めたことは、コロナ禍以後に本格的に聴き始めたこの数年でも明らかである。

 そんな小泉和裕が、九州交響楽団で12月に取り上げたのが、ブラームスドイツ・レクイエム》だった。コロナ禍で曲目変更となった第400回定期演奏会で取り上げる予定だった曲目だけあって期待も大きかったが、その期待を超える素晴らしい演奏だった。統率された合唱と豊潤なオーケストラが調和し、滑らかに包み込まれるような歌に癒される1時間10分だった。

 そんな中で、地上から天上へ上り、天上を称え、地上に降りてくる様がまるで登山のようだった。第1曲で地上を慰め、第2曲では力強く牽引力のある登山が始まる。第3曲ではバリトン独唱が天上の扉を叩き、赦されて第4曲で合唱は天上へ向かう。第5曲では、ソプラノ独唱と共に天上を称える。第6曲では下山するが、途中嵐が起こり苦悶する。第7曲では地上に戻ってくるが、第1曲にはなかったヴァイオリンが加わって充足感に満たされる。この曲は第5曲を中心とする対称構造ではないか。地上では中低音が活躍し、天上では高音が活躍する。リヒャルト・シュトラウスを見出すような妄想をしながら聴いたのをよく覚えている。シュトラウスご本人には怒られそうだが、特に《アルプス交響曲》との連関を妄想してしまったのだった。

 話が飛躍してしまったが、そんな想像を膨らませるぐらいには、この演奏には発見が多かった。小泉和裕の指揮は安定している。それが私に謎解きのような発見を与えてくれるのは毎回のことだが、九州交響楽団を定期会員で聴いてきて、特に発見が多かった演奏が、この《ドイツ・レクイエム》だったことは間違いない。また、小泉和裕の大編成や声楽作品に触れられる日が待ち遠しい。

 

3.室内楽公演

 リサイタルなどの室内楽公演には今年も一定数触れることができたが、そのいずれもが高水準の感動体験であり、特にピックアップするのが難しい。特に、高校の先輩にあたる中村太地さんのリサイタルやトリオ公演には毎年感銘を受けているので、是非取り上げたかったのだが、今回は特に鮮烈すぎる体験を提供してくれた以下3公演を振り返ろうと思う。図らずも3公演ともピアノリサイタルである。

 

ファジル・サイ@福岡

 ファジル・サイは作曲家でもある。一度彼の作品に実演で触れる機会があったが、非常に興味深い作風だった。したがって、来日してバッハ《ゴルドベルク変奏曲》やシューベルトピアノソナタを弾くとなると、期待せずにはいられなかった。

 1月に実演に触れてみると、それは想像をはるかに超える衝撃的とでもいうべき体験だった。作曲家らしく楽曲を解剖し、他称的な視点から鋭く削り、氷のように冷たい響きで解釈された明晰なピアニズムがとにかく面白かった。三人称的な視点から解釈しているのにもかかわらず、《ゴルドベルク変奏曲》のト長調の快楽に挟まれた、ト短調の押し込められた哀しみの美しさは格別のもので、昨年10月に聴いたラン・ランの同曲と 丸っきり異なる印象を受けた。そしてアンコールのドビュッシーの混じりけのない純粋な世界が銀世界のような美しさだった。私と彼は全く別の世界を見ている。強烈な体験だった。

 

アンドラーシュ・シフ@川崎

 10月に川崎で聴いたアンドラーシュ・シフ。プログラムは当日舞台上で発表され、シフの解説付きで旅する演奏会。これもまた新鮮だった。磨かれたまろやかな響き、自然に湧き出る叙情。長旅に楽しく御伴させてもらった充実した時間だった。特にシューマンダヴィッド同盟舞曲集》は一度聴いてみたかった楽曲で、それをシフの素晴らしい演奏で聴くことができたのが嬉しかった。「フロレスタンとオイゼビウス」このふたりの対比を、しっとりとした歌と燃えるような葛藤の中に見出した演奏だった。また、ベートーヴェン: ピアノソナタ第17番《テンペスト》も、ベートーヴェンの楽曲の中に清澄な響きのバッハと、深い彫琢、とりわけ迫りくる低音の反復の中にシェイクスピアの持つ劇的な昂ぶりを感じられ、この両者の見事な融合に心躍った時間だった。

川崎で聴いたアンドラーシュ・シフの解説付きのリサイタル。シフの音楽観を演奏だけでなく、言葉を通じても垣間見た特別な体験だった。長旅に楽しくお付き合いし、非常に充実した学びのひとときだった。

③藤田真央@福岡

 シフの3週間後に聴いた藤田真央も屈指の感動体験だった。劇的ながら明快、決して濁らず澄み渡る響き、そして藤田真央ならではのさまざまな創意工夫。今年のリサイタルで藤田真央は4度目だったが、最も感動した演奏会だった。最強音の直後に間をとって、その余韻から繊細に滲ませた弱音の美しさには何度も息を呑んだし、リストのロ短調ソナタでの苛烈な強音とまろやかに歌わせた弱音の対比も印象的だった。そして何より、岡田暁生西洋音楽史』p. 111で指摘されているチェリビダッケの言葉「交響曲は拡大された弦楽四重奏であり、弦楽四重奏交響曲のミニチュアだ」を聴きながら思い出した。これが何を意味するのか。いかに藤田真央の左手と右手の結びつきが有機的であり、音楽が立体的だったかということだろう。



4.その他

プッチーニ《トスカ》[演奏会形式](フレデリック・シャスラン/読売日本交響楽団

 東京・春・音楽祭で実演に触れたプッチーニ《トスカ》も忘れられない体験となった。オペラ聴き始めの頃であったこの作品だが、そのときスカルピアを歌っていたのはブリン・ターフェルだった。あの凄まじい眼光をどうしても忘れられず、今回の実演は逃せないと思っていたので、この公演はプログラム発表時から楽しみで仕方がなかった。

 そして、長年の目標がまたひとつ叶った。人生の目標のひとつが叶ったと言っても良い。円熟味を増し、渋みを増したターフェルから滲むような皮肉的な表現、堂々たる歌唱… レジェンドとはこういうものなのかと打ち震えたあの立ち姿とオーラを忘れられない。これが見たくて、聴きたくて演奏会に通っているのだと本気で思った。あそこまでスカルピアになりきれる歌手はどれほどいるのだろうか。圧倒されてしまった。他のキャストも当然良かったのだが、ターフェルの凄みにすべて持っていかれたような心地だった。もちろん、劇場指揮者シャスランは手堅くツボを押さえた指揮で、プッチーニの恍惚とするような響きと旋律の美しさ、劇的な感情の起伏を歌手にピタリとつけた職人技を披露しており、その指揮ぶりも素晴らしかった。

 

②ソニア・ヨンチェヴァ ソプラノ・コンサート(フランチェスコ・イヴァン・チャンパ/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

 今を時めくソプラノ、ソニア・ヨンチェヴァのプッチーニに惹かれたのはいつのことだったか… このソプラノを実演で聴く機会がどうしても欲しい。そう思いながら、昨年は東京に遠征しながら他の公演とバッティングしてしまって聴けずにいた。そしてようやく都合がついたので、9月に東京に飛んでリサイタルを聴くことができた。

 彼女の素晴らしさ…各役柄を芯から咀嚼して解釈し、自らなりきってしまうところを目に焼き付けることができて本当に良かった。白葡萄のような淡い色彩感と輪郭の丸さ、美しい歌唱で繊細に描かれる心の動きの機微を捉えたときの喜びは格別だった。特にプッチーニマノン・レスコー》のアリアでは、絶望感と悲哀が管弦楽と一体となってうねり、思わず共感し、同情してしまうような没入感だった。こんな歌手をこれから何度聴けるだろうか。聴きに来れてよかったと心底思わされるコンサートだった。願わくば、ヨンチェヴァの《マノン・レスコー》を舞台で全幕観たい。そんな新たな目標もできた。

九州交響楽団には今年もお世話になった。書ききれなかったが、沼尻竜典指揮によるリヒャルト・シュトラウスサロメ》も、官能性と劇的な起伏、2点の極致設計に感銘を受け、この作品に対する学びが多かった体験だった。

 振り返りが非常に長くなってしまったが、今年も充実した1年だったことは間違いないようだ。ただ、今年はやはり演奏会に通いすぎたきらいもあるので、来年からは量より質、ひとつひとつの演奏会に集中して、これまでより遥かに多い情報量を捉えられればと思う。来年も感動的な演奏会に多く巡り合えますように。

演奏会という非日常への旅を志向して

 「私は何のために演奏会に通っているのだろう」-ルートヴィヒ・ファン・ ベートーヴェン (1770-1827) のピアノソナタ第11番を聴きつつ、今年1年の演奏会記録を見返しながら、ふとこんなことを考えた。クラシック音楽が好きだから、オーケストラが好きだからと言っても、年間数公演しか演奏会に行かない人も周りにいるのに、なぜ私はこんなに演奏会に通っているのだろう。そもそも、私が演奏会に求めてきたものとは何なのだろう。ふと訪れた疑問が頭の中を渦巻き妄想が妄想を飛躍させる。それでも、折に触れて根源的な疑問について熟考することは大切だと思うので、思考を整理して記録として残す意味合いで、今回は書き起こしてみようと思う。

 そもそも、そんな疑問を深刻に捉える必要はないのではないか。確かにそうである。クラシック音楽を聴くこと、特にコンサートホールという場所で生の音楽に触れることにはかけがえのない喜びがある。だからこそ、「実演に触れるのが好きなのだから、そんな疑問に付き合わなくても良いではないか」と今まで思ってきた。特に大学に入学して数年は、コロナ禍明けほど多くの回数行くこともなかったし、別の都市に遠征することもほとんどなかったから、考える必要もなかった疑問である。しかし、コロナ禍明けから4年間を見てみると、特にここ3年は年50回以上演奏会に行くまでに至った。もちろん繁忙期と閑散期はあるが、平均すると1週間に1回は演奏会に行っている計算になる。もはや、日常に溶け込んでいるレベルという計算結果になってしまったのである。

旅と演奏会を組み合わせた最たる例は、トゥガン・ソヒエフ(1977-)の指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を聴きにソウルまで飛んだ(2023年11月)ことだろう。旅先での観光と演奏会が紐づけられた有機的な体験だった。

 振り返ってみれば、大学に入学した当初は、演奏会に「通う」という発想はなかった。そもそも演奏会のチケットは総じて高額なものだと思い込んでいた。しかしそれ以上に、初めは「録音などで見たことのある名前」を実演で聴いてみたいという、いわば「特別感」みたいなものを演奏会に求めていた。それまで録音でしか聴いたことのない演奏家の音楽が生まれる、まさにその場を体感したい。同じ空間に触れたい。心震える体験をしたい。そういったことを演奏会に期待していた。そのため、演奏会に行くという行為は、「非日常を楽しみに行くこと」とまったく同義だったのである。したがって、演奏会に触れるようになった初期のころは、演奏会には月1回行くか行かないかという程度だった。

 私の演奏会活動が変化し始めたのは、九州交響楽団の演奏会に触れるようになってからだろう。それまで海外オーケストラの来日公演などしか触れていなかった私が、ある日大学の友人に「合唱で乗るから」と誘われて行ったのが、グスタフ・マーラー (1860-1911) の交響曲第3番の演奏会だった(2019年7月27日)。正直な話、マーラー自体それまでほぼ馴染みのない作曲家だったし、まして九州交響楽団はもっとなじみが薄かったので、掴みどころのない状態で私は会場に向かった。このときは、想像以上の素晴らしい演奏に驚いたのはもちろん、それまでほぼ一緒に聴きに行く人がいなかった私が会場で温かい聴衆の皆様やお見送りの楽団員の方々と知り合えたことで、私はその後九州交響楽団の演奏会に通うようになっていった。通うにつれて、先輩の聴衆の方々から音楽についてさまざまなことを教えていただいたり、そこから新たな繋がりが生まれたりして、音楽についての知識も経験も格段についた。また、コロナ禍以降は定期会員になり、好きな曲も苦手な曲も、馴染みが深い曲も全然聴いたことがない曲も、食わず嫌いせずにさまざま聴いたことによって、私の趣味はますます深く分厚いものとなった。ここまでくると、演奏会を軸に予定を考えるなど、演奏会はすっかり日常に浸透してしまっていた。私にとっては、日常的に音楽について「学ぶ」機会を提供してくれる場、これがこのころからの九州交響楽団の演奏会だと考えている。

 しかし、コロナ禍後は特別なものだった演奏会がその後日常に浸透してしまうと、今まで楽しみにしてきた「特別感」が薄れてしまう。ここに私はどうしても満たされないものを感じていた。特別感を作るために、ネクタイコーデに凝り始めたり、遠征して来られる方との会食機会を積極的に作ったりもした。音楽について新たな発見を提供し、学び続けられる場として、演奏会は日常的に必要だと考えていたものの、それに付随する予定などに特別感を見出し始めたのである。結局この試みは私の音楽鑑賞をさらにそこの深いものにしたという点で、非常に意義深いものとなった。とりわけ首都圏から来られた方の中には、音楽についてのみならず、立ち居振る舞いなどで目標にしたいと思う方もいらっしゃった。さまざまな経験から、私の趣味と共に内面も再形成されてきたのを私は感じていた。

ダニエル・バレンボイム(1942-)のピアノリサイタル(2021年6月)を聴きに名古屋を訪れたときの鮮明すぎる記憶。今でも愛知芸術文化センターを訪れるたびに、このときに聴いたベートーヴェンの演奏が脳内再生されてしまう。

 その方が良くおっしゃっている「旅と演奏会を組み合わせること」- このコンセプトも良いかもしれないと私は考え始めた。特に印象に残っているのは、ダニエル・バレンボイム (1942-) の来日公演で名古屋を初めて訪れた時のことである。コロナ禍で来日公演がすっかり減ったことも、演奏会に特別感を見出す難しさを痛感した要因だった。そんな中、ついにバレンボイムが来日してピアノリサイタルをするという。海外アーティストの来日が難しくなった中、クラシック音楽聴き始めから名前を知っている演奏家が来日する。しかも80歳近くでの来日だから、次回がある保証はない。このとき私は、大学に入学した当初の演奏会の喜びを思い出したのである。「これは必ず立ち会わなければならない」と思った私は、名古屋公演のチケットを入手し、名古屋へと飛んだ。目の前にバレンボイムがいて、平行弦ピアノから清澄なベートーヴェンを奏でる。その1時間半は忘れられない思い出となった。

 このときから名古屋には何度か訪れた。一度聴いてみたいと思っていた名古屋フィルハーモニー交響楽団も数度聴いた。そこで聴いたアントン・ブルックナー (1824-1897) の交響曲第5番リヒャルト・シュトラウス (1864-1949) の《アルプス交響曲》は強烈に脳裏に刻まれた演奏だった。これらの曲は、バレンボイムベートーヴェンとともに、今年6月に名古屋を訪れた際に自然と脳内再生され、蘇ってくる記憶と化していた。旅と演奏会を組み合わせること - その地域それぞれの風土をじかに感じる旅と演奏会の記憶が紐づけられることで、より強固な思い出になっていることが私には新鮮だった。この特別感を味わいたい欲望にどうしても抗えず、バレンボイムベートーヴェンを聴いて以降、私は福岡での演奏会を調整して遠征回数を増やしていくことになった。

ヴァレリーゲルギエフ(1953-)の指揮するミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団を聴いた演奏会(2018年11月)が、アクロス福岡での鮮明に記憶に残っている演奏会で最も古いものである。この演奏会がきっかけで、実演の凄さに惹かれて演奏会に行くようになった。

 どうやら私は、個々の演奏会に「特別感」「新鮮さ」を求めているらしい。これまでユースチケットや定期会員の恩恵にあずかり、私は格安でたくさんの演奏会を体験することができたように思う。もちろん、それ自体は非常にありがたいことである。しかし、日常の中に演奏会がすっかり浸透してしまうと、アクロス福岡に足を運ぶこと自体が全く新鮮なことではなくなり、演奏会から特別感を得るのが難しくなってしまった。聴いている音楽の大半が同一の演奏家の音楽であれば、ホームグラウンドの安心感と引き換えに、なおさらその新鮮さを感じるのが困難になる。加えて、演奏会は聴く方も体力を要する。実際に回数が増えすぎてしまうと、ひとつひとつの演奏会に対して集中力が不十分になり、その内容がぼやけてしまう経験もした。それでは、本来の私の目的からすると、わざわざチケット代を払って聴きに行く機会を大切にしていると言い難いとも思う。どのようにして演奏会に「特別感」を見出すか、それが現在の私の悩みである。

 学生時代は定期会員という制度を使い、曲目に対する興味の有無に関係なく、さまざまな演奏会に満遍なく触れることができた。このことにより、クラシック音楽に対する興味の幅も広がり、特に「なぜこの演奏家はこの解釈をするのか」について思いを巡らせるようになった。この「聴き方」の基本的な部分が養われたことは、学生時代年間50回演奏会に通った成果である。同じ演奏家だからこそ、指揮者や作曲家による違いに気づきやすくなる。この基礎を作ってくれた九州交響楽団には本当に感謝してもしきれない。

 では、その「基礎」の密度が増してきた今、どのようにして演奏会を「新鮮な体験」にしようか。そのヒントが「旅」であろう。先に述べたように、旅と演奏会を組み合わせることで、その土地の風土をじかに感じる体験と演奏会が紐づけられ、より強固な思い出が形成される。その土地を訪れると、以前に聞いて感動した演奏が脳裏に蘇ってくる。旅とともに、演奏会が「非日常」の一部となり、より新鮮な体験となるのは間違いない。また、旅をして旅先のオーケストラを聴くことで、地元の九州交響楽団と違った良さを見つけることもできた。普段福岡にいて九州交響楽団のみを聴くのではなく、旅をして旅先のオーケストラを聴くことで、九州交響楽団も違った切り口で見られる。旅先のオーケストラと地元のオーケストラ、それぞれで異なる魅力を感じられるのである。

 ただ、個人的に演奏会に行くこと自体がマンネリ化していることは否めない。初めてコンサートホールに入ったときの高揚感。これから演奏会が始まるというときの緊張感。桁違いの情報量を浴びて呆然とする満足感。これらをフルに受け止められていないのではないか。演奏会の回数が多くなるにつれて、トレードオフのように新鮮味は失われていく。そんな中旅先で再び感じた高揚感や緊張感、満足感。ホームでもアウェーでも、そもそもコンサートホールという異世界を訪れる新鮮な体験、「会場に訪れれば以前の演奏で感動した記憶が蘇る」体験をこれからも大切にしたい。そのためには、無理のない演奏会計画を立て、ひとつひとつの演奏会に万全の集中力をもって臨まなければならない。

アンドリス・ネルソンス(1978-)とボストン交響楽団の演奏会は、京都と大阪に聴きに行った。特に、京都でのリヒャルト・シュトラウスアルプス交響曲》は鳥肌が立ちっぱなしの感動体験。次に京都コンサートホールを訪れるときも、きっと脳裏に浮かぶだろう。

 九州交響楽団の定期会員で日常的に育ててもらったからこそ、大学卒業とともに演奏会との付き合い方を変え、ひとつひとつの演奏会に「特別感」を見出したい。確かに演奏会に没頭することは素晴らしいことだと思うが、結果的に回数を減らして厳選した演奏会から、これまでの2倍、3倍の情報量を得られれば、充足感も全く違ったものになるだろう。

 

 学生時代を終えたら、「量」より「質」を大事にしよう。演奏会という「非日常」に旅をしよう。そんなことを思う今日この頃。

抗いがたい同調圧力 ーショスタコーヴィチとベートーヴェンー

 昨日9月25日は、ドミトリ・ショスタコーヴィチ(1906-1975)の誕生日だった。私自身決して好きだとは言えない作曲家で、録音、実演ともにどうも積極的に聴こうという気分になる機会が少ない。それでも、これまでショスタコーヴィチの実演に触れてきて、掴めないながら感動する不思議な感覚に自然となった体験もある作曲家である。

 しかしながら、思えばショスタコーヴィチを積極的にと言わずとも、聴く機会はかつてに比べると段違いに増えた。いちばんの理由はアンドリス・ネルソンス(1978-)の指揮するボストン交響楽団で聴いた交響曲第5番が鮮烈な名演に心の底から感動し、最大限の賛辞を贈りたい気持ちになったことで、上手く「楽曲に乗せられてしまった」というものだろう。それから先、私は少しずつショスタコーヴィチに触れるようになった。今では時折聴きたくなる録音すらある。

ショスタコーヴィチの実演で初めて感動したのは、アンドリス・ネルソンス(1978-)とボストン交響楽団の大阪公演(2022年11月)だった。それまで共感したこともなかったショスタコーヴィチに気づけば没入してしまっていた。

 実演にしても、録音にしても、それまでどうも掴めなかった楽曲や作曲家、演奏家に対して、霧が晴れるような爽快な景色を見ることは、この作曲家に限らず何度も起こってきたことではあるのだが、どうしてもショスタコーヴィチには異質なものを感じてしまう。例えば、ヨハネス・ブラームス(1833-1897)、グスタフ・マーラー(1860-1911)、アントニーン・ドヴォルジャーク(1841-1904)…といった作曲家ーいずれも好きになるのに時間がかかった作曲家ーとは、その過程も明らかに異なる印象を受けるのである。

 実は、その大きな要因として考えつくことがないわけではない。ショスタコーヴィチには、まだ残念ながら「好きな曲」が存在しない。普段からあまり聴かない作曲家でも、ある日突然聴くようになる場合はたいてい「好きな曲」から入ることが多かったのだが、そういう感覚がこの作曲家には全くないのである。例えば、ブラームスであれば、交響曲第2番に初めて出会ったときに心がざわついた。マーラーであれば、小泉和裕(1949-)指揮、九州交響楽団による交響曲第3番の実演が全てを変えた。ドヴォルジャークであれば、交響曲第7番との出会いがこの作曲家の叙情性に惹かれる主要因となった。しかしながら、ショスタコーヴィチにはこうした恋愛的な出会いが全くない。ショスタコーヴィチが好きかと問われても、「別に特には…」という答えになるだろうし、むしろ苦手にしている部分も大きいのである。

 ところで、私がショスタコーヴィチの音楽でこれまで苦手にしてきた部分とはいったい何なのだろう。例えば、交響曲第8番の第2楽章を初めて聴いたとき、好きな方には申し訳ないが、とても正直な感想として「何と鬱陶しい曲なんだ」と思わずにはいられなかった。交響曲第7番《レニングラード》のフィナーレを初めて聴いたとき、「何と暑苦しい同音反復なんだ」と思わずにはいられなかった。でも、この不快感の奥にある原因がわからず、ずっと心が疼くような心地がして、ショスタコーヴィチからは離れていった。それでも、編成の小さな交響曲第9番の軽やかなリズムや軋むような諧謔性には面白さすら感じていたことから、この観点には当初から特段苦手意識はなかったと思う。

 あるとき、ショスタコーヴィチ交響曲第5番の終楽章を聴きながら、これは本当に勝利の凱旋を自発的に祝っているのかという違和感を覚えたのを思い出す。先のネルソンスとボストン交響楽団の実演の予習のために聴き始めた、セミョン・ビシュコフ(1952-)とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による録音を聴いていた時のことであった。ニ短調からニ長調に転じ、ドヴォルジャーク交響曲第7番のように明るいフィナーレへ向かっても良いはずなのに、どこか息苦しさを感じた。最後のティンパニの気迫の打撃には、高らかな勝利の感覚は全くなかった。そこには「祝え!祝え!」と強制され、押しつぶされるような緊張感に統制された大政翼賛的な賞賛を感じずにはいられなかった。賞賛以外は許されない、皆が全く同じ方向を向くこと以外は許されない自由度のなさがそこにはあった。まるで、「勝利を祝えないものは輪から出ていけ」と言わんばかりの圧力を堂々とかけられているような心地がした。

 

ウィーン19区の「ベートーヴェンの散歩道」。小川がせせらぎ、長閑に時が流れる。まさに交響曲第6番を見ているような景色である。(2019年3月)

 

 「ひとりの友の友となるという大きな成功を勝ち取った者、心優しき妻を得た者は彼の歓声に声を合わせよ。そうだ、地上にただ一人だけでも心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ。そしてそれがどうしてもできなかった者はこの輪から泣く泣く立ち去るがよい」(ベートーヴェン: 交響曲第9番 第4楽章より)

 

 思えば、ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(1770-1827)という作曲家も、私が長年苦手意識を感じていた作曲家だった。初めて実演で聴いた交響曲第5番に、私は嫌悪感すら感じていた。全く知らない赤の他人に、殴りかかるように物申すその無礼さが信じられなかった。たとえ偉大な作曲家様だとしても、凄まじいエネルギーで初手から罵詈雑言を吐くような口調に耐えきれなかった。そして、光がさして勝利へ向かう第4楽章の執拗なまでの反復と、なかなか終結しないフィナーレに嫌気がさした。まるで他人のことを全く信用しておらず、自らに賛成するまで説得を続けるような音楽の自己中心的な性格にどうしても馴染めなかった。それに対して、交響曲第7番は初めから好きな作品だった。全曲を通して反復が多いが、そのリズムの軽快さからむしろ楽しめていた。ただし、今から振り返ると、交響曲第5番の終楽章と第7番の終楽章の基本的な性質は同じで、ひたすらしつこい確認と反復が行われているのではないかと思う。

 そして交響曲第9番。「歓喜の歌」などと言われるが、「共感できないものは去れ」という強烈なメッセージを包含している。皆で一緒に歓喜を歌おうと言いながら、共感できないものを排斥する息苦しさ。他者に自らの考えを押し付け、首を縦に振るまでしつこく説得を繰り返す第5番と本質的には変わっていないのではないかと、初めて歌詞を見たときは思ったものだ。まるで説教をされているような心地がして、ベートーヴェンもしばらく聴きたくないと思ったことすらある。ただし、交響曲第9番も初めて実演で聴いた小泉和裕指揮、九州交響楽団の実演で心底感動したのも事実なのである。なぜこれまで好きではなかった作品であのとき感動してしまったのか、なぜその後ベートーヴェンを進んで聴くようになったのかを考えると、ショスタコーヴィチと共通するものがあるように思えてならない。

初めて実演でベートーヴェン交響曲第9番を聴いたのは、小泉和裕(1949-)と九州交響楽団(2019年12月)だった。それまでの共感のなさから一転し、楽曲が展開するにしたがって抗いがたい共感性を私は感じていた。

 ネルソンスとボストン交響楽団によるショスタコーヴィチ: 交響曲第5番。あの時感じたのは、ネルソンスの音楽づくりに対する共感である。必要以上に作品の性格を強調することなく、作品に語らせる。確かに金管の鳴りが良いアメリカのオーケストラではあるが、ネルソンスは機能性を生かしたクリアな大音響を実現し、第3楽章では極限まで弱音を絞って静電気の膜のように感じる緊張感を引き出した。前半2楽章での冷徹さから第3楽章での温かみへのテクスチュアの変化。終楽章のフィナーレも渾身の打ち込みで、大衆が称賛を煽られる様を見事に表現した。気づけば私は初めて、ショスタコーヴィチという作曲家の実演で感動していた。

 小泉和裕九州交響楽団によるベートーヴェン: 交響曲第9番。こちらで感じたのも、小泉和裕の音楽づくりに対する好みである。低弦を主体として豊かに響き、特に第3楽章の歌謡性には引き込まれた。何より小泉和裕の構造を重視した解釈は説得力が大きく、楽曲が展開するにしたがって熱を帯びていった。そして気が付けば、私はこれまで好きだと思えなかったこの作品の世界に浸っていた。

 ショスタコーヴィチベートーヴェン。両者の作品には確かに押しつけがましい同調圧力を孕んでいるのだが、ひとたび共感をしてしまうと抜けられなくなるような中毒性をも秘めているように思う。何か不満を持った際に、同じことに猛烈に怒っている主張を目にすると、皆同じように不満をもって怒りを爆発させているのだと錯覚してしまうように、また、何か自分が良いと思っているものをごく近隣の人たちだけでも猛烈に賞賛していると、皆一様に素晴らしいと感じているのだろうと錯覚してしまうように、ショスタコーヴィチベートーヴェンの音楽には、その主張にそれまで懐疑的だった人をも思わず巻き込んでしまうような渦巻くエネルギーを感じてしまう。普段は覚えない共感を思わず覚えたとき、視野を狭めてしまうような作用があるのかもしれない。そして、共感を覚えてしまえば逃げ場はなく、楽曲が展開するにしたがってどんどん煽られてしまう。そういった物事の見方に対する客観性を見失ってしまうような魔力を持っているのだろうと思う。

 ただし、これらは本当に大衆を政治的な賞賛へ向かわせるものなのか。それは逆なのだと思う。むしろ、ミヒャエル・ザンデルリンク(1967-)がベートーヴェン交響曲第3番とショスタコーヴィチ交響曲第10番の共通項として挙げるように、それは「音楽自体は終始、英雄や王を褒め讃えて歌っているのだが、その賞賛がたびたび批判的な調子によって蝕まれる」ものであり、「虐げられている人々への連帯を表明し、彼らの測り知れない苦しみを表す言葉を見つける」役割を果たすというものであるのだろう。*1

 こういった感覚を持ったこれからであっても、私にはショスタコーヴィチベートーヴェンの魔力に憑りつかれる瞬間が数多く訪れるだろう。実際に生活している際は、世の中のあらゆる事象を客観性をもって判断できるように努めたいが、音楽を楽しむ場合は別に良いだろう。私は私なりに、「気づけばその世界に引き込まれるような不思議な感動体験」を今後も大事にしていきたいと思うのである。

リゲティ《アトモスフェール》から生き方を思う

 

2023年5月にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によってリゲティ《アトモスフェール》が演奏されたウィーン・コンツェルトハウス(指揮: フィリップ・ジョルダン)。

 先日、配信を通じて、ジェルジュ・リゲティ(1923-2006)の《アトモスフェール》という楽曲を聴く機会があった。今年はリゲティ生誕100周年のメモリアルイヤーであり、その100回目の誕生日にあたる5月28日に、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団がフィリップ・ジョルダンの指揮で演奏したのである。*1どこからともなく霞が広がり始め、明瞭な旋律など持たない音の重なりが膨張し、いつしか減衰して曲が閉じられる。そこには静寂があったはずなのに、いつしかざわめきのような音が多様なテクスチュアを生みながら広がり萎み、気づけば静寂に戻っている。「明確な始まりも明確な終わりも持たない」という点は、指揮者ニコラウス・アーノンクール(1929-2016)がヴォルフガング・アマデウスモーツァルト(1756-1791)の交響曲第39番・40番・41番の3曲を「交響的オラトリオ」として解釈していた*2のと正反対の事象として印象的だった。そのような、まさに「雰囲気」「気配」を印象付ける曲に、私は面白さを感じていた。明確な始まりがあり、明確な終わりがある形式的なモーツァルトの音楽に対して、開始と終結をひけらかすことなく、いつしか生まれいつしか消えていくリゲティの音楽。その対照性について考え始めると、どんどん妄想が膨らんでいくのを私は感じていた。

参考までに、《アトモスフェール》の実際の演奏を以下に示す。

 

 youtu.be

 

 

 ふと思えば、新型コロナウイルスの世界的な流行が世間的に騒がれ始めた2020年2月後半当時、その流行拡大は突然のことに思われ、世界中への拡散はまさにモーツァルト交響曲第39番の冒頭のような素早さであった。しかしながら、これはあくまで私が意識し始めた時点からの観測でしかない。大流行が始まるより前にも、新型コロナウイルスの報告や感染・死亡例などは少しずつ上がってきていたのである。そしていくらかの波を経て感染者数は増減し、現在はマスク着用規制やワクチン接種キャンペーンなどが廃止され、徐々に「コロナ前」に戻りつつある。私は、このような「コロナ禍」の挙動そのものに、リゲティの《アトモスフェール》の音楽に通じるものを感じずにはいられなかった。これはコロナ禍に特異的な事象なのだろうか。

 例えば、自然的な事象を見れば、そもそも季節自体がそのような始点と終点の明確ではないものだと考えられる。例えば、我々は気温が徐々に高くなり、庭の梅に花が咲くと、春が来たと思うかもしれない。長雨が明け、太陽が容赦なく照らしつけ始めると、もう夏本番だと思うかもしれない。しかし、気温は多少の起伏はあれど、大まかに捉えれば常に漸次的に変化しているのであり、季節に明確な境界はないようなものだ。それを我々は「立春」などと言ってカレンダーに印をつけて境界を設けつつ、気温の変化や生き物の登場、旬の食べ物など五感を使って感じ取っているのであろう。

 人間関係の発展にしても、明確な境界はないのかもしれない。例えば、ある人を好きになるとき、好きになったと意識する瞬間はあるかもしれないが、それは自分自身が「この人が好きだ」と確認した瞬間であり、それ以前からその人に心惹かれていたはずだと思う。愛情を告白し、相手に受け入れられることで恋人関係になる場合でも、その告白はあくまで両者の関係を新たなステップへと引き上げるために意識的に設けられた境界であり、恋人関係になるにはそもそも両者がそれまでにある程度親密な関係を築いているのではないかと思われる。

 社会的な事象も同様なのではないか。例えば2022年2月から続いている本格的なロシアによるウクライナ侵攻にしても、ウクライナの国境を越えて進行する前までには、クリミア半島編入ウクライナNATOとの軍事演習に伴うロシア軍のウクライナ国境への軍備拡大など、予兆ともいえるさまざまな出来事が指摘されているはずである。*3

 こうして考えていくと、我々を取り巻く環境での事象は、リゲティの《アトモスフェール》のように、静寂から霞が徐々に立つように生まれ、気づけば意識の外に放り出されていくのではないかという、ある種当たり前の考えが私の中に忽然と浮かんできた。我々は、本来明確な始点と終点のないあらゆる事象に関して、気づかないうちに「記念日」や「暦」といった境界を設定しているのだと。時間という秩序を与えることは社会を維持していく上では非常に重要だとは思うが、本来自然にしても、人間にしても、あるいはその集まりである社会にしても、ある瞬間突然0が1になるのではなく、徐々に気づかないところから生まれているのである。それを時間に縛られている我々が意識するタイミングが「記念日」や「境界」になり、ある瞬間以降に大ごととして捉えられるだけのことなのだろう。リゲティの楽曲が、そのようにあらゆる物事には実際には明確な始まりと終わりがないことを暗示しているのではないかと認識させられた。

 

 岡田暁生が著書『音楽の危機』(2020)の中で、「音楽家は先の時代を予感したかのように作品を出す場合がある」という旨のことを書いていた。例えば、『音楽の危機』の中では、イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)の《春の祭典》(1913)と翌年に始まる第1次世界大戦の繋がりについて指摘されている。《春の祭典》での既存のリズムの崩壊による「カタストロフの予告」と現実世界における第1次世界大戦での既存の体制の崩壊。ここにおいて、我々が普段聞こえていない声を聞き取って、それが作曲家に作品を書かせるのだと。それは、芸術家がそうでない人々からみると、ある意味アウトサイダーであり、「外」から「中」を客観視できるからこそなのではないかと洞察されていた。*4すなわち、芸術家は社会の変化の機微をある意味いち早く掴める人たちであり、「中」の人よりも環境変化に敏感なのだと思う。我々の周りの事象が、始めと終わりが明確ではない、膨らみを持ったものであるとしたら、こうした芸術家はその誕生にいちばん近い人の部類なのだろうと思う。だからこそ、芸術家の作品には、その時々の置かれた境遇が色濃く反映され、個性の一部になっているのだろう。

 ただし、科学技術が発展する以前の人間は、もっと周りの環境変化の機微に敏感だったのだろうとも思う。現代ではポータブルプレーヤーやイヤホンを使えば、どこでも音楽を聴ける時代になった反面、鳥の鳴き声や雨の匂いなどの五感で感じる機微に対して鈍感になってしまったのではないかと私自身を振り返っても思う。もちろん溢れかえる情報の中から取捨選択して正しい情報を得て、自らの人生を決めていきたい。しかし、問題は受け取り方だと感じている。霞がどこかしら生まれどこかしらへと還っていくような、自分の身の回りにあるさまざまな事象の機微を積極的に捉えることは、自らをより敏感にし、感じる物事への解像度が高くなることで、その後の人生に役立つ些細な発見に繋がり、自分自身を豊かにするのではないかと思う。

 

 情報が大量に溢れかえっている世界で、我々はどう生きるべきなのか。リゲティの《アトモスフェール》から、私は人生に対する教訓を得たように思う。否応なしに膨大な量の情報を浴び続け、情報に対して受動的になりすぎている現在、芸術家の感性の鋭さと気配の変化への敏感さには、参考になることも多いだろう。私もまた、膨大な量の情報を受動的な姿勢で受け止めるのではなく、連続的に生まれ、幾重もの霞が重なり合いながらその質感が常に変化していく周りの世界に対して、より鋭敏になり、解像度を上げて物事を捉えられるようにしたい。そのことこそ、実り多く豊かな人生を彩るパレットになるのではないかと私は考えている。そのために、日ごろから受動的に情報に浸るのではなく、常に自らの周りの情報に対して能動的な姿勢を取り、さまざまなハードルに積極的にチャレンジしながら、自らを養っていきたいと思う。

ショルティ&ウィーンフィルによるシュトラウス《ばらの騎士》(1968-'69年)

 普段あまりすすんで聴かない指揮者のひとりがサー・ゲオルグショルティ(1912-1997)である。もともと私はショルティの音楽が苦手で、聴くのをためらってきたのだが、シカゴ響とのベルリオーズ幻想交響曲*1などを聴くうちに、ショルティでも好きな音源も増えてきた。今回取り上げるウィーンフィルとのシュトラウスばらの騎士》は、初めて聴いたときにはやはり苦手意識が残ったのだが、それ以来少しずつショルティの他の音源も聴いてきたので、今聴いてみるとどのように聴こえるのか楽しみであった。

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サー・ゲオルグショルティ(ロイヤル・オペラ・ハウス)。*2

 オーケストラはウィーンフィルなのだが、やはりショルティが振るとアンサンブルが引き締まり、硬質な響きへと変化する。第1幕前奏曲から速いテンポで引っ張り、ホルンをはじめとする金管の鳴りもウィーンフィルとは思えないほどだ。また、拍節感がしっかりとしているのもショルティならではで、例えば第1幕の朝食のシーンでは、他の演奏と比べて、ホルンに明瞭に刻ませている。弦もかなり硬質で、アクセント付けや強弱表現、グリッサンドなども明晰で、余計な情感を排除した解釈のように思われる。明確な表現と陰影をできるだけそぎ落とした響きは充実したキャスト陣の明晰な発音とも合致し、オーケストラと歌唱のそれぞれが持つ「意味」を補完しあっているように思う。すなわち、オーケストラではオクタヴィアンや元帥夫人マルシャリンの音型などを明らかにし、歌唱での歌詞と対応させることで、歌詞の奥に含意が表現されていると思うのである。その明確な表現に必要なのが、ショルティが求める各楽器の芯のしっかりとした「発音」だと考えられる。

 例えば、第1幕でオックス男爵が登場する直前では、金管の大袈裟なようにさえ思われる強奏が印象的だ。オックス男爵が登場している場面と登場していない場面との間に明確な区別をつけたかったのだろうか。確かにオックス男爵が登場している場面の「ワルツ」に特筆される陽気さ、いわば「オペレッタ的」な感覚と、元帥夫人マルシャリンのモノローグや第3幕フィナーレの三重唱など、マルシャリンのみが登場している場面でのシリアスな感覚の描き分けという意味で、このトゥッティの強奏は非常に大きな役割を果たしているのかもしれない。

 ショルティのこんなにも曇りなくくっきりと輪郭を描くような演奏は、過去のウィーンでの《ばらの騎士》とは明らかに一線を画している。特に随所で金管を鳴らすなど、ショルティの特徴が演奏を非常にドラマティックなものに仕上げていると思う。個人的には強弱のつけ方が場面によっては過剰に思われる部分もあったが、切れ味鋭く、幅広い強弱付けをもたらし、明晰な表現を志向するショルティの音楽づくりは、シュトラウスの書いた複雑な楽譜を細部まで炙り出すとともに、物語の展開に緊張感を与えるという点では印象的なものである。また、ショルティの個性的な音楽により、「ここにスネアがあったのか」などと新しく発見することも多かったのである。

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ジーヌ・クレスパンの元帥夫人マルシャリン(左)。オックスはマイケル・ランドン(シアトル・オペラ。1969年)*3

 キャストの中でもまず注目すべきなのは、レジーヌ・クレスパン(1927-2007)による元帥夫人マルシャリンであろう。クレスパンはフランス人のソプラノだが、バイロイト音楽祭への出演からも分かるように、ワーグナーでの当たり役も多かった*4。実際にクレスパンのマルシャリンを聴いてみると、ドイツ語の明晰な発音が魅力的であるだけではなく、全体的に歌唱に余裕を感じられ、性格付けも非常に細やかだ。また、しっとりと柔らかく、完璧にコントロールされた瑞々しい声には、マルシャリンの気品が存分に感じられる。ひょっとするとそれは《カプリッチョ》の伯爵夫人マドレーヌのフランス貴族の気品に通じるものなのかもしれない。感情表現を取り出して言えば、特に第1幕のモノローグでは、初めは透明感のある声で歌ってたのが、オーケストラが速度を落とし、翳りを与えていくにしたがって、どんどん暗い声へと落ち込んでいく様子は見事だった。確かにクレスパンの柔らかい声には包容力があるが、しっかりと方向性が定まっており、決してビブラートが大きくなりすぎず、老け込みすぎないのがかなり魅力的である。第1幕のモノローグでも、その後のオクタヴィアンとの二重唱でも、声色の変え方は確かな技術に裏付けられた素晴らしいものであり、明晰な発音も崩れずに、マルシャリンの心の内が滲むように表現されるのには、思わず感情移入しそうになってしまう。

 そして何と言っても魅力的なのがマンフレート・ユングヴィルト(1919-1999)のオックス男爵である。ユングヴィルトはオーストリア人のバスで、オックス男爵は当たり役のひとつにしていた。映像記録として、カルロス・クライバー(1930-2004)指揮、バイエルン国立歌劇場の1979年のライブがある*5。今回のショルティ&ウィーンフィルによる録音はそれよりも10年前のものであるが、すでにユングヴィルトは訛りやコミカルな性格付けなどに長けていたことが伺え、充実のオックスを演じ切っている。それにしても、味付けは濃いように見えて濃すぎない匙加減は、この時代に活躍したオックス歌いに共通してみられる魅力で、ユングヴィルトだけでなく、例えばカール・リッダーブッシュ(1932-1997)やテオ・アダム(1926-2019)などが挙げられる。粗野な面は見せつつも、田舎貴族ではあるが、貴族として気品を残すユングヴィルトのオックスは聴いていて頷かされる部分が非常に多い。特に第2幕のオックス男爵のワルツではオーケストラの弾みを生かし、やや禁欲的なオーケストラに「古き良きウィーン」の味がついているのがまた良い。

 オクタヴィアンを歌うのはイヴォンヌ・ミントン(1938-)である。非常に若々しく、凛々しいオクタヴィアンだという印象を初めに持った。ミントンは非常に幅広い声域で知られた歌手だが、オクタヴィアンでもそれが無理なく歌唱に行かせているだけでなく、繊細な表現を可能にしている。例えば、第1幕のフィナーレでのマルシャリンとのモノローグでは、落ち込むマルシャリンを情熱的に引き止めたり、第2幕のオックス男爵が登場する前のゾフィーとの二重唱では心ときめかせたり、歌い方の端々に無理のない工夫が感じられるのが素晴らしい。全ての工夫にわざとらしさが全くなく、それでいてオクタヴィアンの心情変化を的確に掴んでいるのである。1972年にミントンはオクタヴィアン役でメトロポリタン歌劇場デビューを果たしている。

 ゾフィーを歌うヘレン・ドナート(1940-)はゾフィーを得意にした歌手のひとりであるが、この録音では初々しいゾフィーを演じ切っていて魅力的である。特に第2幕冒頭などは結婚に心弾む様子が伝わるような、上へ上へと意識された歌唱である。混じりけのない張りのある声は素直に美しく、純真なゾフィーが聴いて取れる。第3幕でマルシャリンと対面し、恐縮しつつ恥じ入る様子や第3幕フィナーレで希望と不安の両方を抱えたように感じられる歌唱は、ドナートの真骨頂と言えるだろう。

 そしてここまで明晰な音楽づくりをしているショルティだが、第3幕フィナーレの三重唱で三者三様の歌唱とそれを支持するオーケストラの関係が比較的はっきり聞き取れるのはこの録音ならではだろう。本来この三重唱は管弦楽と声楽による巨大な「交響詩」的な音楽であるため、素直に塊として聴かせようとするのなら、美しく恍惚とするような響きに包まれる心地になるだろう。ショルティの場合、ウィーンフィルの本来のシルキーな響きを生かしながらも、卓越したバランス感覚から、投網のように各歌手と各楽器の対応関係がはっきりとわかるのが非常に面白い。歌詞が明瞭に聴き取れるというよりは、どの歌手とどの楽器が対応しているかを改めて知ることができる演奏のように感じられた。なお、ショルティシュトラウスの葬儀の折にもこの三重唱を指揮したことが知られている*6

 

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ウィーンフィルと録音を行うサー・ゲオルグショルティ*7

 ファニナルに熟達のオットー・ヴィーナー(1911-2000)、ヴァルツァッキに経験豊富なマレイ・ディッキー(1924-1995)など、他のキャストも非常に充実している。DECCAらしいのは、イタリア人テノールに若き日のルチアーノ・パヴァロッティ(1935-2007)をキャスティングしているところであろうか。ただ、パヴァロッティが歌うこの役には少し違和感があった。イタリア風アリアのパロディであっても、このテノールが歌うアリアはイタリア・オペラのスターが歌うとなぜか違和感があるように思う。

 

 上品さが滲むクレスパン、粗野ながら貴族を体現した最高のユングヴィルト、若々しく瑞々しいミントンとドナートをはじめとする充実のキャストもかなり魅力的ではあるのだが、何と言ってもやはり、この録音で重要な点は、完全ノーカットであるところだろう。過去にエーリッヒ・クライバーが同じくウィーンフィルとセッション録音したものが確か完全ノーカットだと記憶しているが、特にライブではシュトラウス自身が認めたものとはいえ、カットが多いものもたくさんある。そのため、シュトラウスの書いた《ばらの騎士》の全容を知るのにこうしたノーカットの録音は重要である。ショルティウィーンフィルと録音したこの《ばらの騎士》の録音は決して私の好みに合うものとは言えないものの、貴重な完全ノーカット盤としてこの録音も今後の《ばらの騎士》の鑑賞に役立てていきたい。

戦渦にオーケストラ体験の原点を思う ― ゲルギエフの思い出と今の思い

 東欧での戦争が始まってからずっと、ヴァレリーゲルギエフ(1953-)という名前を見るたびに、私の中でわだかまりがどんどん大きくなっている。ゲルギエフTwitterで話題になるとき、ないしは主にドイツ紙で報道されるとき、少なからず悲しい思いになる。そこで、さまざまな意見はあるだろうが、私はこうして久しぶりに文章を書くことにした。

 本題に入る前に明確にしておくが、私はこの文章を書くことによって、今回の戦争に関して自らの政治的な立場を示したいわけではないし、ゲルギエフ本人の立場や考え方の賛否を示したいわけでもない。単に、音楽に関して、それを取り巻く環境に対して、今思っていることをすべて書き記しておきたいだけなのである。

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記憶に鮮烈に残った海外オーケストラ公演のうち、最も古いものはゲルギエフ指揮、ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団の福岡公演(2018年11月27日)。前半がブラームスピアノ協奏曲第2番(ピアノ: ユジャ・ワン)、後半がブルックナー交響曲第9番だった。

 実は、私はゲルギエフの音楽を特別好んでいるわけではない。好きか嫌いかと言われても、「演奏による」と答えるだろう。むしろ苦手なところもいろいろあるかもしれない。それでもここ数日、ゲルギエフという名前を聴くたびに悲しさが心の中を支配してくる。振り返れば、私はゲルギエフの指揮する演奏会に2回触れることができた。2018年11月のミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団の福岡公演と2020年11月のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の北九州公演。恐らくこのふたつの公演は、生涯にわたって私に刻印されるような思い出だろう。

 

 2018年11月27日、アクロス福岡シンフォニーホール。ここで私は初めて海外オーケストラによる来日公演のビビッドな記憶を刻み付けることになった。曲目はブラームスピアノ協奏曲第2番(ピアノ: ユジャ・ワン)とブルックナー交響曲第9番。大学1年の秋、まだアルバイトを始めてそんなに経っていないころ、お金がそうそうあるわけでもない。そんな中で、思い立ったが吉日、レコーディングでしか名前を見たことがない「ゲルギエフ」という指揮者が福岡に来ると聞いて、チケットを購入したのである。

 そもそも「交響曲」というジャンルを聴き始めてすぐのことだった。それにもかかわらず、長大なブルックナー交響曲をいざ聴いてみようと思って、まじめに毎日のように聴いて何とか慣れ、実演に臨んだのが懐かしい。そして、実演。ドイツのオーケストラの重厚な響きが目の前から生まれ、塊となって襲い掛かり、心を鷲掴みにして離さなかった。ブルックナーの静かな終楽章の余韻の震えるような張り詰めた空気、緊張感を私は永遠に忘れられないだろう。あの瞬間に初めて「魔法にかけられた」心地がした。交響曲をまじめに聴き始めたばかりの私が、交響曲のようなブラームスピアノ協奏曲第2番と、壮大なブルックナー9番に圧倒されて、しばらく物も言えなかった。

 正直な話をすると、解釈は端正とは言い難いし、これまで端正な演奏を聴いてきた私には衝撃的だった。でも、「解釈なんてどうでも良い」と思わせるほど、音楽に説得力があった。あれだけ演奏会で感動したのは生まれて初めてで、それ以前に体験してきた数少ない演奏会の記憶がほとんど消えてしまったかのようだった。「こういう体験がしたい」そう思って私は演奏会通いを始めることにした。

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2018年11月のミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団の福岡公演にあまりに感動した私は、終演後すぐに楽屋口へ飛び、拙い英語でゲルギエフに感謝の気持ちを伝えた。ゲルギエフも英語で答えながら、気さくにサインに応じてくれた。

 「これが音楽の力なのか」「こんな演奏を聴いてしまっていいのか」とあまりに心揺さぶられ、終演後ホールの外に同行者と出るときでさえ、言葉が震えていた。「音楽の力」をまざまざと痛感させられ、心拍数がすっかり上がっていた。語彙が浮かんでこないような実演。生まれて初めてこんな体験をさせてくれた。ゲルギエフに感謝の気持ちをどうしても伝えたく、楽屋口に飛んでいったのは言うまでもないことかもしれない。

 つまり、ゲルギエフは私の演奏会通いをスタートさせてくれた指揮者だった。交響曲聴き始めの私が、ブルックナーという見たことのない名前を見てこの演奏会を避けていたとしたら、恐らく「実演のもつ力」を知るのも遅くなっていただろうし、演奏会通いも始めるのが遅れただろう。さらに言えば、ブルックナーという魅力的な作曲家を知ることも、好きになることもなかっただろう。ゲルギエフはそういう意味で、私の「オーケストラ通いの原点」となった指揮者で、私にとっては欠かせない存在だと言える。

 

 2020年11月5日、北九州ソレイユホールゲルギエフの実演に接した最後の機会はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演だった。この公演は2020年3月に始まったパンデミック後初めて海外オーケストラが来日した演奏会、曲目はプロコフィエフ《ロメオとジュリエット》からの抜粋、デニス・マツーエフをソロに立てたプロコフィエフピアノ協奏曲第2番、メインがチャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》だった。

 オーストリアの首都ウィーンは私が幼少期を過ごした街である。したがって、私はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団というオーケストラには並々ならぬ思い入れがある。ウィーン国立歌劇場でオペラ公演に接したことはあるものの、「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」として実演に触れたのはこのときが初めてだった。しかも、北九州というのは私が生まれ、ウィーンから戻ってきて高校時代まで過ごした地元。地元で、「第2の故郷」のオーケストラを聴くこと。特別な思いが聴く前からあったのは言うまでもない。

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2020年、コロナ禍が始まって最初の海外オーケストラの来日公演はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団だった(2020年11月5日)。数日前のウィーンでのテロ後、同楽団最初の公演。メインのチャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》はテロ犠牲者に捧げられ、後半開演前に黙祷がささげられた。

 この公演が開催されると発表されたのは実は公演6日前だったのだが、そのとき私は福岡で別のコンサートを聴いていた。正直いくら何でも来ることはできないと思っていたので、格別に嬉しかった。ゲルギエフという「オーケストラ体験の原点」となった指揮者で、「第2の故郷のオーケストラ」を「地元」で聴く。ビッグ・イベントだった。

 さらに事態を深刻にしたのが、オーケストラがウィーンを発つ前日にウィーンで起こったテロだった。このテロには心を痛めつけられた。ニュースを聞いたとき、「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が来日できるのか」以前に、ウィーンという街に思いを馳せた。そして無事来日したという知らせが来たとき、私は嬉しかったものの、非常に複雑な思いを抱いていた。

 そんな中で聴いたチャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》はいつまで経っても鮮やかに思い出せる。楽団にとってテロ後初めての公演、この曲はテロ犠牲者に捧げられた。演奏前に黙祷を捧げ、そのまま序奏に突入、あのときの繊細なファゴットの音色。第1楽章の第2主題の消え入るようなフレージング。展開部直前のクラリネットの慈愛に満ちたソロ。舞うというよりは儚い第2楽章。盛り上がりに寂しさすら存分に感じさせる第3楽章の行進曲。クライマックスとなった第4楽章はうねり、渦を巻き、陰影を残しながら静寂へと還っていく。ゲルギエフの短い指揮棒が下りるまでの数十秒、心臓に直接迫るようなものがあって、心の中にずっとしまわれていた思いとともに涙があふれ出してしまった。

 ウィーンと思いを繋げる機会に私は感謝した。何という《悲愴》。その2年前に聴いたミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団ブルックナーとは別種の感動が、内側から私の心を揺さぶった。ゲルギエフで、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で、しかも《悲愴》を聴きながら、ウィーンという「第2の故郷」に思いを馳せ、涙を流したあの体験は唯一無二のものだ。絶対に忘れることはないだろう。

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2020年11月、私にとって「唯一無二」の体験に涙を流した夜、紫川沿いで輝くイルミネーションを私は忘れることができないだろう。

 侵略戦争を擁護するつもりはもちろんないのだが、私のオーケストラ体験であまりにゲルギエフという指揮者が占める割合が高かったのかもしれない。ゲルギエフは私の好みの音楽づくりをするわけでもないし、普段からよく聴く指揮者でもないのに。それなのに、ゲルギエフミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者という立場から去らなければならなくなったというニュースに触れたとき、過去の政治的言動などから仕方ないことだと割り切れる心境には到底なれない自分がいる。

 第一に、そもそもゲルキエフミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団というコンビこそ、私の「演奏会通いの原点」であり、格別に記憶に焼き付いている組み合わせだから。あの決定的な体験がなければ、あそこで「音楽の力」を体感しなければ、あのときすすんでブルックナー9番を聴きに行っていなければ、確実に今の私はいないのだから。

 第二に、ゲルギエフウィーン・フィルハーモニー管弦楽団チャイコフスキー《悲愴》で「第2の故郷」ウィーンで起こったテロの犠牲者に静かな祈りを捧げたから。テロのニュースにどうしようもない哀しみを抱いた私に、ウィーンの人々と繋がる機会を与えてくれたから。あの唯一の体験に、私は感謝してもしきれない。あのときチャイコフスキー《悲愴》を振ったのがゲルギエフだったというのが、このわだかまりを一層大きくしているように思う。あれだけ心から泣いた演奏を、今後体験することはあるのだろうか。

 戦争はこうして、刃物を使って素敵な宝物に容赦なくキズを入れてくるのだなと最近ずっと体感している。戦争は絶対に許せるものではない。一度入ってしまったキズは容易には戻らないし、元通りになることはない。改めて今、この文章を書きながら、ゲルギエフウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるチャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》を聴き、その静寂の余韻を体感するとき、戦争に対する怒りと大切なものを奪われたような哀しみが襲ってきた。

 そして、ゲルギエフミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者の地位を追われてしまったというニュースに私はかなりショックを受けている。これが意味することは、私には大きすぎた。私の原点となったこのコンビをもう一度聴けるのを楽しみにしていた。もう一度あの音の渦に巻かれるのを心待ちにしていた。ほぼ毎年来日していたゲルギエフだったから、絶対にまた聴けると思っていた。それが、ほぼ永遠に実現する機会を失ってしまったのは、残念という言葉では言い表せないほどだ。未完成のブルックナー交響曲第9番のように、提示された第1楽章の第1主題は戻ってこないのだろうか。

 私は思わず、ゲルギエフミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団のコンビの録音を探し、気づけば注文していた。ブルックナー交響曲全集、マーラー交響曲第2番、第4番、第8番。アンヤ・ハルテロス(1972-)をソロに立てたマーラーの《リュッケルト歌曲集》他。恐らく戻ってくることのない第1楽章の第1主題の回帰を求めて。

 

「自然に光を当てて陰を照らし出すように」 ー フィリップ・ジョルダン

Herzlichen Glückwunsch zum Geburtstag,

lieber Maestro Philippe Jordan!!

 

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フィリップ・ジョルダンパリ・オペラ座管。2021年9月の音楽監督退任記念公演。リスト《ファウスト交響曲》とワーグナーパルジファル》第3幕というプログラムだった。*1

 

 10月18日は私の音楽鑑賞人生を変えてくれた指揮者、フィリップ・ジョルダン(1974-)の誕生日。今やウィーン国立歌劇場音楽監督を務めるマエストロも47歳を迎えた。スイス・ロマンド管のシェフなどとして名を馳せた巨匠アルミン・ジョルダン(1932-2006)の長男としてスイスのチューリッヒに生まれ、同地の音楽学校で学んだ後、ウルム市立歌劇場のコレペティトールとしてキャリアをスタート、後に同歌劇場のカペルマイスターとなった。1998年から2002年まではベルリン国立歌劇場音楽監督ダニエル・バレンボイム(1942-)のアシスタントを務めていた。27歳でグラーツ歌劇場の音楽監督となり、2009年に35歳でジェラール・モルティエ(1943-2014)総裁の下でパリ・オペラ座音楽監督に就任、以後12年間この地位にあって精力的な活動を行ってきた。「歌劇場叩き上げ」の指揮者としてキャリアを積むことには、同じくカペルマイスターの道のりを踏んだ父アルミン・ジョルダンの強い薦めがあったという。加えて、幼いころからフィリップ・ジョルダンは父の指揮するオペラのプローベや実演を通じてかなりオペラに対する愛好を深めており、「オペラをコンサートよりも好んでいたことも歌劇場で研鑽を積む方針に決めた理由」と本人は語っている。*2

 パリ・オペラ座で特に力を入れたのは自身の敬愛するワーグナーで、リング・ツィクルスを繰り返し行うなど、パリでのワーグナー上演にはとりわけ熱量を傾けた。パリでの最後のシーズンとなった2020/21シーズンも、ジョルダンはその集大成となるリング・ツィクルスを指揮している。ジョルダンは2020/21シーズンよりウィーン国立歌劇場音楽監督に就任したが、そこでもワーグナーモーツァルトには特に力を入れていきたいと語っている。とりわけモーツァルトにおいては、特にこの作曲家のオペラで名高いオペラ演出家のジャン=ピエール・ポネル(1932-1988)に直接レチタティーヴォの処理等を学んだベルリン時代の師バレンボイムに基本を学んでおり、ジョルダン自身も「2025年までには少なくともダ・ポンテ・オペラの新演出を披露する予定」とかなり意欲的だ。*3まず手始めに2021年2月には《フィガロの結婚》がポネル演出に再演出として戻された。*4また、今シーズンには《ドン・ジョヴァンニ》の新演出が披露される予定だ。*5

 フィリップ・ジョルダンパリ・オペラ座と多くの録音を残している。数々のオペラ映像の他、ベートーヴェン交響曲全集*6チャイコフスキー交響曲全集*7というふたつの交響曲全集を映像収録し、2009年音楽監督就任記念コンサートでのシュトラウスアルプス交響曲*8ムソルグスキー展覧会の絵》とそのカップリングでのプロコフィエフ交響曲第1番*9ストラヴィンスキー春の祭典》とカップリングでのドビュッシー《牧神の午後への前奏曲》《ボレロ*10、そしてマエストロが敬愛してやまないワーグナー管弦楽曲*11などが含まれる。中でも《アルプス交響曲》での解像度の高さは特筆すべきで、ジョルダンがいかにこの複雑な楽曲を明快に聴かせることに長けているかを思い知らされる。各場面がパノラマとして浮かんでくるような壮大な音絵巻には、聴くたびに息を呑む。実際にジョルダンの明瞭に構造を聴かせる解釈はシュトラウス大編成において特に鮮やかに引き立ち、とりわけ《アルプス交響曲》はパリ・オペラ座音楽監督就任記念に取り上げただけでなく、2021年1月のウィーンフィル定期初登壇でも取り上げた彼の十八番のひとつである。*122022年1月にはジョルダンベルリンフィルにこの曲でデビューすることになっている。*13

 また、《展覧会の絵》や《古典交響曲》、あるいは《春の祭典》といったロシアの作曲家による楽曲についても、フィリップ・ジョルダンは純粋にその楽曲の特質を引き出すような演奏スタイルをとっている。例えば《展覧会の絵》においては、ロシアの指揮者などは特に「怖さ」を感じさせるような演奏になることが多いように思うが、ジョルダンラヴェルオーケストレーションの美質をいかんなく引き出し、色彩豊かにまとめている。《春の祭典》についても同様で、バレエ音楽をパリでやる意味を考えさせられるような、パリのオーケストラのしっとりとした質感を残しつつ光を当てたような、美しさを感じさせる演奏である。

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2021年1月に無観客で開催されたウィーンフィル定期演奏会で《アルプス交響曲》を指揮するフィリップ・ジョルダン。正確・確実なアインザッツを送り続ける左手は特に魅力的だ。*14

 

 ジョルダンは2014年よりウィーン響の首席指揮者を昨年まで務めていた。ジョルダンはウィーン響とも多くの録音を残している。中でも特筆すべきは、ベートーヴェン交響曲全集*15ブラームス交響曲全集*16というふたつの交響曲全集である。とりわけベートーヴェン交響曲全集は私がフィリップ・ジョルダンという指揮者に魅力を見出しただけでなく、これまで全く魅力的に思えなかったベートーヴェンという作曲家に魅力を見出した録音である。ベートーヴェンのリズム動機を生かした推進力、きめ細やかに明瞭に聴かせた旋律。構造的に聴かせつつも決して押しつけがましさがなく、非常に聴きやすくも毎回聴くたびに新たな発見があって新鮮だ。ベートーヴェンという作曲家が書いた楽譜が脳裏に浮き立って見えてくるような情報量の多い演奏には、初めて聴いたときからとても興奮した。このベートーヴェン交響曲全集の中でもとりわけ感銘を受けたのが交響曲第3番で、全体的に推進力がある演奏でも、特に「葬送行進曲」での織り成すような美しい和声を引き出した第2楽章には非常に驚かされた。

(今ではこのベートーヴェン交響曲全集はボロボロになってしまった…)

 

 

 「楽譜が見えてくる」という意味では、ブラームスは非常に良い成果として挙げられるだろう。ブラームスの4曲の交響曲をこの指揮者で聴くと、いかに楽曲の細部まで緻密に書かれているかが明確に見えてくる。例えば、交響曲第2番第1楽章再現部をジョルダンの録音で聴けば、その冒頭部分で第1主題群の2つの主題がオーボエヴィオラによってこんなにも美しく重なり合っていることに容易に気付かされ、感動するだろう。あえて2つの主題を描き出すようにして解釈するのではなく、本人の言うように楽曲に「自然に光を当てて陰の部分を照らし出す」ように解釈するスタイル*17が最もよく生きた例のひとつであり、聴き手にも自然に情報量の多いジョルダンの音楽は入ってくるという点で魅力的だ。もちろん他の番号においてもこのスタイルは一貫しており、交響曲第4番では特に伏線回収が明快で感動的だった。交響曲第1番では重厚なオーケストレーションからか、多少作為的に聴こえる部分もあったが、いずれにせよ解像度の高いジョルダンの音楽づくりは、生き生きとした音楽の中でも崩れず、非常に興味深い示唆を聴き手に与えてくれる。今では私のお気に入りのブラームスだ。

 ウィーン響との成果としては、ベルリオーズ幻想交響曲》《レリオ》*18シューベルト《未完成》《大ハ長調*19などが他に挙げられる。いずれも色彩感豊かな素晴らしい演奏である。チャイコフスキー交響曲第6番はジョルダンの「照らし出す」解釈がチャイコフスキーの旋律美を際立たせた美しい演奏で、こちらも魅力的である。*20

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ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場ワーグナーのリング・ツィクルス《ワルキューレ》を指揮したフィリップ・ジョルダン(2019年)。*21音楽監督ジェイムズ・レヴァイン(1943-2021)はラジオで聴いた《ワルキューレ》の公演後にジョルダン本人に電話をかけるほどの興奮ぶりで、その後ジョルダンレヴァインとの交流を深めたという。*22

 

 体全体で流れるように表現し、左手から正確なアインザッツを送るジョルダンの指揮姿と、そこから生み出される情報量の圧倒的な音楽。スコアに裏打ちされた強靭な構成力とそれを土台に組み立てられる解像度の高い音楽。楽曲の陰となっている要素をあえて彫り出さず、本人の言う「純粋に光を当てて陰の部分を照らし出す」解釈と生み出される色彩感の豊かな音楽。聴くたびに新たな発見がある新鮮さに、まさに "begeistert" な感情を抱き続けさせるフィリップ・ジョルダンの音楽は、私にとっては宝物である。フィリップ・ジョルダンに出会えたからこそベートーヴェンにもブラームスにも開眼するなど、今まで聴いてこなかった作曲家をすすんで聴くようになった。今度は恐らくまだまだ苦手なワーグナーの面白さをジョルダンは私に伝えてくれるだろう。

 また、フィリップ・ジョルダンの音楽を聴くことは、私の音楽鑑賞の姿勢も変えてくれた。すなわち、幅広い年代の録音を聴くことの大切さである。クラシック音楽を聴いているとどうしてもかつての名盤に注目しがちだが、現在のアーティストがどのような音楽を作ってきているのかを知ることはとても有意義なことである。私もジョルダンを聴き始める前までは、カルロス・クライバーを敬愛し、彼の録音を頻繁に聴いていた。しかし、クライバーの決して数が多いとは言えない録音も、30年から50年前のものなのだ。古い録音を聴いて過去の巨匠たちがどのような音楽を作り、どのような伝統を築いてきたかを知ることは確かに大切だが、それと同時に過去を踏まえて現代の指揮者たちがどのように新しい解釈をもたらすかも非常に興味深い。フィリップ・ジョルダンという指揮者と出会い、彼の音楽を積極的に聴くようになったことで、アンドリス・ネルソンス(1978-)を始めとするジョルダンと同世代の指揮者の録音にも手を出し、幅広い世代を満遍なく鑑賞できるようになったことは、きっと私の音楽鑑賞を豊かにしてくれているだろう。

 

 Ö1がウィーン国立歌劇場の新演出などを放送してくれるおかげで、ジョルダンのオペラに触れる機会も増えた。高い解像度が生かされたシュトラウスばらの騎士*23、「レチタティーヴォはダ・ポンテ・オペラのモーター」と語る*24ジョルダン自身がチェンバロを弾いたモーツァルトフィガロの結婚*25、濃厚に陰影をつけるのではなく、すっきりとヴェルディオーケストレーションを生かしながら理性的に影を照らし出した《マクベス》。*26ジョルダンのオペラづくりの手腕にも今後どんどん触れ、ウィーン国立歌劇場での活躍に期待していきたいと思う。

 ポストをウィーン国立歌劇場音楽監督に絞り、今後ますますフィリップ・ジョルダンはウィーンでの活動に注力していくと思われるが、機会があれば実演にも必ず触れたい。録音でこれだけ情報量の多い演奏なら、実演ではすべてを追いきれるか分からないぐらいの圧倒的な情報量の多さに違いない。コロナ禍が収まり、海外へ渡航できるようになったら、真っ先にウィーンへ出向いて、現地でジョルダンのオペラに触れることにしている。

 フィリップ・ジョルダンの音楽と出会い、さまざまな魅力に触れながら気づいたこと、得られた収穫を糧に、今後の音楽鑑賞人生を豊かにしていきたいと思う。

 

 それでは改めて。

 Ich wünsche Ihnen alles Gute zum 47. Geburtstag, lieber Maestro Philippe Jordan!!

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2020年9月からウィーン国立歌劇場音楽監督に就任したスイス人指揮者フィリップ・ジョルダン*27

 

*1:The moving farewells From Philippe Jordan to “his” Audience And “his” Orchester De l’Opéra De Paris, Around Liszt And His Dear Wagner.

*2:Jordan, P. "Der Klang der Stille" (2020)

*3:Jordan, P. "Der Klang der Stille" (2020)

*4:„Le nozze di Figaro“ am 04.02.2021 | Spielplanarchiv der Wiener Staatsoper

*5:Don Giovanni | Premieren 2021/22 | Wiener Staatsoper

*6:フィリップ・ジョルダン/ベートーヴェン: 交響曲全集

*7:フィリップ・ジョルダン/チャイコフスキー: 交響曲全集(第1~6番)

*8:アルプス交響曲 P・ジョルダン&パリ・オペラ座管弦楽団 : シュトラウス、リヒャルト(1864-1949) | HMV&BOOKS online - V5233

*9:ムソルグスキー:展覧会の絵、プロコフィエフ:古典交響曲 フィリップ・ジョルダン&パリ・オペラ座管弦楽団 : ムソルグスキー(1839-1881) | HMV&BOOKS online - WPCS-13658

*10:フィリップ・ジョルダン/春の祭典|HMV&BOOKS onlineニュース

*11:フィリップ・ジョルダン/ワーグナー管弦楽曲集|HMV&BOOKS onlineニュース

*12:5. Abonnementkonzert (ohne Publikum) - Wiener Philharmoniker

*13:Philippe Jordan dirigiert Strauss’ »Alpensinfonie«

*14:Philharmoniker allein mit Philippe Jordan - Musik - derStandard.at › Kultur

*15:P・ジョルダン&ウィーン響/ベートーヴェン:交響曲全集(5CD)|クラシック

*16:P・ジョルダン&ウィーン響/ブラームス:交響曲全集(4CD)|クラシック

*17:Ö1のドキュメンタリー, 2021年4月4日

*18:フィリップ・ジョルダン/ベルリオーズ: 幻想交響曲/レリオ

*19:交響曲第9番『グレート』、第8番『未完成』 フィリップ・ジョルダン&ウィーン交響楽団 : シューベルト(1797-1828) | HMV&BOOKS online - WS009

*20:交響曲第6番『悲愴』 フィリップ・ジョルダン&ウィーン交響楽団 : チャイコフスキー(1840-1893) | HMV&BOOKS online - WS006

*21:Conductor Philippe Jordan and Cast | Metropolitan Opera Hous… | Flickr

*22:Jordan, P. "Der Klang der Stille" (2020)

*23:„Der Rosenkavalier“ am 18.12.2020 | Spielplanarchiv der Wiener Staatsoper

*24:Jordan, P. "Der Klang der Stille" (2020)

*25:„Le nozze di Figaro“ am 04.02.2021 | Spielplanarchiv der Wiener Staatsoper

*26:„Macbeth“ am 10.06.2021 | Spielplanarchiv der Wiener Staatsoper

*27:Philippe Jordan Will Lead the Vienna State Opera. Can He Bring Peace? - The New York Times