Eine wienerische Maskerad' - und weiter nichts?

Oper, Wiener Walzer, ein bisschen Symphonie, usw.

プラシド=ドミンゴのバリトン役に関する個人的見解

 今日はウィーン国立歌劇場ヴェルディ:歌劇《ドン・カルロ》のストリーミングを観ながら、ふと思ったことがあったのでブログを書いている。チョン=ミョンフンの指揮、ヴァルガスのタイトルロールにドミンゴロドリーゴ、フルラネットのフィリッポ。女声はストヤノヴァのエリザベッタにツィトコーワのエボリである。ツィトコーワを聴くためにストリーミングを観ているようなものである。早速ヴェールの歌がとてつもなく素晴らしかった。張りのある声、突き刺さるような勢いがエボリによく似合う。

 

 ところで、早速だが本題である。ドミンゴバリトン役についてである。ドミンゴバリトン役については、(彼の指揮ほどではないが)正直賛否あると思う。ドミンゴはもともとバリトンからスタートし、リリコのテノールを歌っていたが、本来の声質がもっと重かったことから、スピント役を中心に活躍、次第にワーグナーオテロを歌えるほどになった。また、持ち前の表現力があり、語学能力にも秀でたところがあったため、レンスキー(エフゲニー=オネーギン)も歌っている。2010年あたりから(ウィーン国立歌劇場では2011年のシモン=ボッカネグラから*1バリトン役を歌うようになり、近年はバリトンで登場している。*2

 

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筆者が見たウィーン国立歌劇場での《シモン=ボッカネグラ》(2019年3月)。このシモン役で2019年4月1日、ドミンゴは歌手として4000公演を果たした。*3左からフランチェスコ=メーリ(ガブリエーレ)、エレオノーラ=ブラット(アメリア)、プラシド=ドミンゴ(シモン)、ユン=クワンチュル(フィエスコ)。

  私が実際にドミンゴウィーン国立歌劇場で聴いたのは昨年3月のことである。そのときはシモン=ボッカネグラのタイトルロールだった。シモン=ボッカネグラは海賊、総督、そして父親という3つの顔を使い分け、演じ分けなければならない難役であるが、ドミンゴは持ち前の感情表現と「年齢に起因する声の揺れ」を用いて、非常にうまく表現していたと思う。とはいえ、やはりカプッチルリやヌッチのシモンとは明らかに異なる歌いまわしである。彼は「シモンは引退する前に歌ってみたかった役」であるとしており、「バリトンのふりはせず、テノールとして今まで培ってきた表現力が、シモンの魅力を大いに引き出してくれる」と強調する。*4

 実際彼は明らかに「テノール」を歌う歌い方でシモンを歌っていた。それはある意味、ヴェルディバリトンと呼ばれる歌手が歌うシモンよりは「軽い」ものであり、深みが欠けている感じはするが、そこには感情表現が前面に押し出されている。彼はバリトンではないし、本人もバリトンらしく歌うことはしていない。ただ、テノールとしてシモン像を新しく作り上げたのだと思う。だから、これまでバリトンの歌うシモンを聴いていると、ドミンゴのシモンを聴いたときに違和感を感じるのは、ある意味当たり前のことである。

 ドミンゴのシモンは、あくまで個人的な見解だが、前述の3つの顔を、加齢による声質や歌い方の変化を自分自身で知ったうえで、それをうまく生かして表現しているように感じられた。加齢により、どうしても往年の声の安定感は失われている。それは仕方のないことだと思う。ドミンゴはこの「声の揺れ」「少し大きくなったビブラート」をうまく感情の揺れ、葛藤と対応させて歌い上げた。だから、私としては、このシモンを聴いたことは一生の思い出となった。大好きなカプッチルリのシモンとは明らかに異なる、テノールからのアプローチと自らの声の変化を、それがたとえよくない方向の変化だとしても、うまく生かした感情表現、持ち前の陰翳をたたえた中低音を土台にした役作りには、素直にこのレジェンドの凄さを全身で感じることができた。また、実際に舞台姿を見て、出待ちですぐ目の前にしたとき、全身から放たれるレジェンドのオーラを存分に感じられ、それだけでも身震いがした。彼の舞台姿は、立ち居振る舞いからして、彼は他の歌手とは明らかに異なっていた。私もそうであったが、そのオーラは実演に触れて初めて分かるものだと思う。

 

 個人的に、この「声の揺れ」を生かした葛藤や心の揺れの表現がはまった役だと思っているのが、ジェルモン(椿姫)や父ミラー(ルイザ=ミラー)である。やはり歳をある程度重ねた役のほうが、私としてはあっているような感じがする。心情が状況によって変化しやすいこうした役を演じるとき、彼の今の声の、ある意味繊細なところが試されていると思う。そして、幅が幾分大きくなってしまった彼の声が、登場人物の心の動きとマッチした時、やはり私が聴いたシモンのような凄みを体感できるのだと思う。

 しかし、やはり声の揺れが似合わない役というのももちろんある。それは芯がしっかりとした役であり、力強さや強引さを求められる役だと思う。例えばロドリーゴドン・カルロ)、ルーナ伯爵(トロヴァトーレ)などである。ロドリーゴはカルロの身代わりになって死ぬぐらい、カルロを守ろうとする一貫性があり、芯が強い役であるし、ルーナ伯爵は何としてもレオノーラを得たいと燃える強引さを備えた役だと思う。こうした役には、今のドミンゴの力や勢いよりは、むしろ心の奥にあるものを魅せる歌唱は似合わない。ロドリーゴにしろルーナ伯爵にしろ、私にとっての理想はカプッチルリだが、彼は輝かしく、張りのある力強い声を前提として持ったうえで、奥にある感情を絡めて歌い上げる。その張りのある声は今のドミンゴには残念ながら見られない。

 

 私がここで強調したいのは、ドミンゴはここ最近のバリトン役に、バリトンとして歌うのではなく、これまで通りテノールとしてアプローチしているということである。当然今までバリトンで聴いてきた役をテノールで聴かされるわけなので、違和感はある。ただ、これもこれで一種のスタイルだと思う。ドミンゴは今年で79歳になった。当然往年の輝かしい声は失われつつある(そもそもまだそれが健在だったら、今もテノールをしているはずだ)。ドミンゴ自身それを知っているのだろう、逆に声の揺れや不安定さを生かした感情の揺れの表現を、これまで培ってきた舞台での技術と総合して、バリトン役を演じているに違いない。それにはもちろん賛否あると思うし、今までのバリトンが演じてきたバリトン役のスタイルとは明らかに異なるので、それも当然のことなのだ。ただ、ドミンゴは彼独自の演じ方、魅せ方で、バリトン役を歌い続けている。

 

 ドミンゴウィーン国立歌劇場で2020/21シーズンはシモン=ボッカネグラ(2020年9月)、ナブッコ(2021年1月)を歌うことになっている。シモンはフィエスコを演じるグロイスベックとの共演が注目されそうである。ナブッコについては若手、気鋭のモンゴル人バリトン、エンクバット=アマルトゥフシンとのダブルキャストである。このナブッコでアマルトゥフシンはウィーン国立歌劇場デビューを飾る。*5