Eine wienerische Maskerad' - und weiter nichts?

Oper, Wiener Walzer, ein bisschen Symphonie, usw.

#カプッチルリ没後15年 ~名バリトン ピエロ・カプッチルリの命日に寄せて~

 九響の演奏会が来週には再開されようとしている。この4か月間全く演奏会とは無縁の生活を強いられてきただけに、活動再開に対する喜びもひとしおである。17日の九響定期では邦人作曲家のプロがメインとなる。中でも小出稚子作曲の《博多ラプソディ》の世界初演ということで、ますます期待が高まる今日この頃である。

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ピエロ・カプッチルリ(シモン・ボッカネグラスカラ座)。*1

さて、今日7月12日は世界的な名バリトン、ピエロ・カプッチルリ(1929‐2005)の15回目の命日となる。カプッチルリは世界的に名高いバリトンのひとりで、特にヴェルディでその評価が高い。トリエステ出身で、1957年にミラノのヌォーヴォ劇場のトニオ(道化師)で本格デビュー、以降EMIのウォルター・レッグに見いだされて、以降国際的な名声を得た。とりわけ彼の名声が高まったのは、スカラ座1971/72シーズンのアバド指揮での《シモン・ボッカネグラ》のタイトルロールであった。カプッチルリは来日公演でもこのシモンを披露し、渋く暗い要素が強調されがちだったこの作品の再評価にも貢献している。*2

 実はこのカプッチルリというバリトンは、私の最も好きなオペラ歌手である。彼の魅力を上げだしたらきりがない。彼には豊かな声量、滑らかなレガート、幅広い声域とゆとりのある歌唱、情感豊かな表現と性格付け、卓越したブレスコントロールと息の長さ…。また彼は聴衆を沸かせることのできるエンターテイナーとしての側面も持っており、例えば1980年のウィーン国立歌劇場の《アッティラ》では第2幕のカバレッタ《賽は投げられた》では最後に高いB♭の音を長く伸ばして熱狂させ、聴衆の求めに応じてアンコールも行った。この《アッティラ》の録音は私も長い間手に入れることができずにいた盤だが、昨年ウィーンにいたときにようやくオペラ座ショップ「アルカディア」で手に入れることができた。この盤はやはりシノーポリのキレ、特にカバレッタ捌きが素晴らしい。そんな中で、タイトルロールのギャウロフを食ってしまうぐらいの勢いのあるカプッチルリの歌唱が光っているのも事実である。プロローグのギャウロフとの二重唱は互いに闘志むき出しな様子が伝わってくる。

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ピエロ・カプッチルリ(ロドリーゴ、右)とミレッラ・フレーニ(エリザベッタ)。スカラ座での《ドン・カルロ》(1977年)。*3

 私がこれまで聴いてきた中でも印象深い役はいくつもあるのだが、初めて聴いたときのジェラール(アンドレア・シェニエ)は忘れられない。これは1981年のウィーンでのライブで、サンティの指揮、ドミンゴのシェニエだったが、第3幕のアリア《祖国の敵》での圧巻の歌唱が今でも心に残っている。正直ドミンゴ目当てで聴いて、確かにドミンゴもものすごく調子が良かったのだが、カプッチルリのこのアリアを聴いて、正直そんなドミンゴが食われてしまったような錯覚を覚えたほどである。アリア最後の伸ばしもオーケストラがそれとなく鳴りやんでしばらく伸ばし続けるのを聴いて、本当に鳥肌が立つほど感動したし、このバリトンはずっと聴いていきたいと思ったほどだった。

 また、彼の録音の中でもとりわけロドリーゴドン・カルロ)は印象深かった。これもウィーン国立歌劇場のライブ(1979年)で、指揮はカラヤンカレーラスのタイトルロールにフレーニのエリザベッタ、バルツァのエボリ、ライモンディのフィリッポという最強の布陣で、中でもフレーニのエリザベッタはこれしかないと思わされるような素晴らしい歌唱だった。しかし、忘れてはいけないのがカプッチルリのロドリーゴだった。第3幕のロドリーゴの死は情感豊かに、しかし確かな遺志をもった芯のある歌唱だったし、それまでもカルロを何としても守るという強い心を持った、張りのある歌声には本当に感動させられた。

 彼の当たり役の中でもヴェルディの役は特別なもののように感じられる。上に挙げた役以外でも、例えばナブッコシノーポリ指揮、ベルリン・ドイツ・オペラ)は王としての威厳と苦悩に満ちた素晴らしい性格付けであり、彼の輝かしく堂々とした声がその風格を作っている。また、リゴレットジュリーニ指揮、ウィーンフィル)では繊細な面を強く押し出していて、父親としての葛藤がその情緒的な歌唱に込められていて、この演奏も私は大好きである。

 さて、こうしたカプッチルリの魅力をすべて詰め合わせたような役がある。それがシモン・ボッカネグラである。とりわけアバド指揮、スカラ座によるセッション録音(1977年)は大変素晴らしい録音であり、これは共演者も大変豪華なものである。アメリアにフレーニ、フィエスコにギャウロフ、ガブリエーレにカレーラスを使い、脇役の(といっても重要な役ではある)パオロにヴァン・ダムを使っている。中でもシモン役は演じ分けの難しい役で、海賊(船乗り)、総督、父親という3つの顔を演じなければならない。これをテクニックもあり、余裕があるカプッチルリの歌唱はすべて包含していると考えられる。例えば第1幕のアメリアが娘だと分かったシーンや混乱のさなかにアメリアが登場するシーン、第2幕終わりのガブリエーレに娘を与える約束をするシーン、そして第3幕の死の場面では、アメリアのことをやさしく見守る父親の姿を見せてくれる。また、第1幕第2場の反乱を鎮める場面では総督としての威厳のある歌唱。そして、全体を通して、船乗りとしての大胆さもまた持ち合わせていて、それらが互いに良い味を出しながら絶妙に絡み合い、心に訴えかけてくるような感じがする。全体を通して、感情表現の多様さ、あるいは繊細さが求められる役であり、それを忠実に彫りだしていくことができるのが、カプッチルリの凄いところであり、聴衆に訴えかけるようなところだと思う。私がウィーンで観たドミンゴのシモンも確かに感情を絞り出すような名演だったに違いないが、そこには海賊や総督としての勢いのある歌唱という観点では多少薄かったかもしれない。それでも第3幕のフィエスコとの二重唱では涙が出てきた。このカプッチルリのシモンを聴いていたら、どんな感情になったのだろう…と思いを馳せずにはいられない。

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ピエロ・カプッチルリ(イアーゴ、オテロ)。スカラ座(1976年)。この時の指揮はカルロス・クライバーオテロプラシド・ドミンゴ、デズデモナはミレッラ・フレーニだった。*4

 カプッチルリの声は張りがあり、深みがあり、さらに強弱という意味でも音階という意味でもレンジが広い。そのことによって、余裕をもった性格表現ができ、より繊細な面まで彫りだすことができる。ルーナ伯爵(トロヴァトーレ)のような役を歌わせれば強引さを前面に出すことができるし、先のジェラールを歌わせれば、強引さとともに葛藤もまざまざと描き出すことができる。彼の声は英雄的とよく言われるが、その堂々とした金色の声は多くの役でいかされてきた。彼はその持ち前の力強い美声を前提として、その安定した歌唱の上に、奥にある感情を繊細に、しかしながら時に大胆に歌い上げ、さらに豊かな声量や他のバリトンが出せないような高音といった強みで聴衆を沸かせることができる。だからこそ、彼の歌唱はよくライブ盤で聴いている。セッションももちろん素晴らしいが、ライブ盤での彼の歌唱には本当に驚かされることも多いので、是非聴いていただきたい。

 最後に私が大好きなカプッチルリの歌唱をふたつ紹介したい。

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 ジョルダーノ:歌劇《アンドレア・シェニエ》第3幕よりジェラールのアリア《祖国の敵》

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 ヴェルディ:歌劇《仮面舞踏会》第3幕よりレナートのアリア《お前こそ心を汚す者》 

 

 それでは今回はこのあたりで。