Eine wienerische Maskerad' - und weiter nichts?

Oper, Wiener Walzer, ein bisschen Symphonie, usw.

戦渦にオーケストラ体験の原点を思う ― ゲルギエフの思い出と今の思い

 東欧での戦争が始まってからずっと、ヴァレリーゲルギエフ(1953-)という名前を見るたびに、私の中でわだかまりがどんどん大きくなっている。ゲルギエフTwitterで話題になるとき、ないしは主にドイツ紙で報道されるとき、少なからず悲しい思いになる。そこで、さまざまな意見はあるだろうが、私はこうして久しぶりに文章を書くことにした。

 本題に入る前に明確にしておくが、私はこの文章を書くことによって、今回の戦争に関して自らの政治的な立場を示したいわけではないし、ゲルギエフ本人の立場や考え方の賛否を示したいわけでもない。単に、音楽に関して、それを取り巻く環境に対して、今思っていることをすべて書き記しておきたいだけなのである。

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記憶に鮮烈に残った海外オーケストラ公演のうち、最も古いものはゲルギエフ指揮、ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団の福岡公演(2018年11月27日)。前半がブラームスピアノ協奏曲第2番(ピアノ: ユジャ・ワン)、後半がブルックナー交響曲第9番だった。

 実は、私はゲルギエフの音楽を特別好んでいるわけではない。好きか嫌いかと言われても、「演奏による」と答えるだろう。むしろ苦手なところもいろいろあるかもしれない。それでもここ数日、ゲルギエフという名前を聴くたびに悲しさが心の中を支配してくる。振り返れば、私はゲルギエフの指揮する演奏会に2回触れることができた。2018年11月のミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団の福岡公演と2020年11月のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の北九州公演。恐らくこのふたつの公演は、生涯にわたって私に刻印されるような思い出だろう。

 

 2018年11月27日、アクロス福岡シンフォニーホール。ここで私は初めて海外オーケストラによる来日公演のビビッドな記憶を刻み付けることになった。曲目はブラームスピアノ協奏曲第2番(ピアノ: ユジャ・ワン)とブルックナー交響曲第9番。大学1年の秋、まだアルバイトを始めてそんなに経っていないころ、お金がそうそうあるわけでもない。そんな中で、思い立ったが吉日、レコーディングでしか名前を見たことがない「ゲルギエフ」という指揮者が福岡に来ると聞いて、チケットを購入したのである。

 そもそも「交響曲」というジャンルを聴き始めてすぐのことだった。それにもかかわらず、長大なブルックナー交響曲をいざ聴いてみようと思って、まじめに毎日のように聴いて何とか慣れ、実演に臨んだのが懐かしい。そして、実演。ドイツのオーケストラの重厚な響きが目の前から生まれ、塊となって襲い掛かり、心を鷲掴みにして離さなかった。ブルックナーの静かな終楽章の余韻の震えるような張り詰めた空気、緊張感を私は永遠に忘れられないだろう。あの瞬間に初めて「魔法にかけられた」心地がした。交響曲をまじめに聴き始めたばかりの私が、交響曲のようなブラームスピアノ協奏曲第2番と、壮大なブルックナー9番に圧倒されて、しばらく物も言えなかった。

 正直な話をすると、解釈は端正とは言い難いし、これまで端正な演奏を聴いてきた私には衝撃的だった。でも、「解釈なんてどうでも良い」と思わせるほど、音楽に説得力があった。あれだけ演奏会で感動したのは生まれて初めてで、それ以前に体験してきた数少ない演奏会の記憶がほとんど消えてしまったかのようだった。「こういう体験がしたい」そう思って私は演奏会通いを始めることにした。

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2018年11月のミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団の福岡公演にあまりに感動した私は、終演後すぐに楽屋口へ飛び、拙い英語でゲルギエフに感謝の気持ちを伝えた。ゲルギエフも英語で答えながら、気さくにサインに応じてくれた。

 「これが音楽の力なのか」「こんな演奏を聴いてしまっていいのか」とあまりに心揺さぶられ、終演後ホールの外に同行者と出るときでさえ、言葉が震えていた。「音楽の力」をまざまざと痛感させられ、心拍数がすっかり上がっていた。語彙が浮かんでこないような実演。生まれて初めてこんな体験をさせてくれた。ゲルギエフに感謝の気持ちをどうしても伝えたく、楽屋口に飛んでいったのは言うまでもないことかもしれない。

 つまり、ゲルギエフは私の演奏会通いをスタートさせてくれた指揮者だった。交響曲聴き始めの私が、ブルックナーという見たことのない名前を見てこの演奏会を避けていたとしたら、恐らく「実演のもつ力」を知るのも遅くなっていただろうし、演奏会通いも始めるのが遅れただろう。さらに言えば、ブルックナーという魅力的な作曲家を知ることも、好きになることもなかっただろう。ゲルギエフはそういう意味で、私の「オーケストラ通いの原点」となった指揮者で、私にとっては欠かせない存在だと言える。

 

 2020年11月5日、北九州ソレイユホールゲルギエフの実演に接した最後の機会はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演だった。この公演は2020年3月に始まったパンデミック後初めて海外オーケストラが来日した演奏会、曲目はプロコフィエフ《ロメオとジュリエット》からの抜粋、デニス・マツーエフをソロに立てたプロコフィエフピアノ協奏曲第2番、メインがチャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》だった。

 オーストリアの首都ウィーンは私が幼少期を過ごした街である。したがって、私はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団というオーケストラには並々ならぬ思い入れがある。ウィーン国立歌劇場でオペラ公演に接したことはあるものの、「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」として実演に触れたのはこのときが初めてだった。しかも、北九州というのは私が生まれ、ウィーンから戻ってきて高校時代まで過ごした地元。地元で、「第2の故郷」のオーケストラを聴くこと。特別な思いが聴く前からあったのは言うまでもない。

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2020年、コロナ禍が始まって最初の海外オーケストラの来日公演はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団だった(2020年11月5日)。数日前のウィーンでのテロ後、同楽団最初の公演。メインのチャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》はテロ犠牲者に捧げられ、後半開演前に黙祷がささげられた。

 この公演が開催されると発表されたのは実は公演6日前だったのだが、そのとき私は福岡で別のコンサートを聴いていた。正直いくら何でも来ることはできないと思っていたので、格別に嬉しかった。ゲルギエフという「オーケストラ体験の原点」となった指揮者で、「第2の故郷のオーケストラ」を「地元」で聴く。ビッグ・イベントだった。

 さらに事態を深刻にしたのが、オーケストラがウィーンを発つ前日にウィーンで起こったテロだった。このテロには心を痛めつけられた。ニュースを聞いたとき、「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が来日できるのか」以前に、ウィーンという街に思いを馳せた。そして無事来日したという知らせが来たとき、私は嬉しかったものの、非常に複雑な思いを抱いていた。

 そんな中で聴いたチャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》はいつまで経っても鮮やかに思い出せる。楽団にとってテロ後初めての公演、この曲はテロ犠牲者に捧げられた。演奏前に黙祷を捧げ、そのまま序奏に突入、あのときの繊細なファゴットの音色。第1楽章の第2主題の消え入るようなフレージング。展開部直前のクラリネットの慈愛に満ちたソロ。舞うというよりは儚い第2楽章。盛り上がりに寂しさすら存分に感じさせる第3楽章の行進曲。クライマックスとなった第4楽章はうねり、渦を巻き、陰影を残しながら静寂へと還っていく。ゲルギエフの短い指揮棒が下りるまでの数十秒、心臓に直接迫るようなものがあって、心の中にずっとしまわれていた思いとともに涙があふれ出してしまった。

 ウィーンと思いを繋げる機会に私は感謝した。何という《悲愴》。その2年前に聴いたミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団ブルックナーとは別種の感動が、内側から私の心を揺さぶった。ゲルギエフで、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で、しかも《悲愴》を聴きながら、ウィーンという「第2の故郷」に思いを馳せ、涙を流したあの体験は唯一無二のものだ。絶対に忘れることはないだろう。

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2020年11月、私にとって「唯一無二」の体験に涙を流した夜、紫川沿いで輝くイルミネーションを私は忘れることができないだろう。

 侵略戦争を擁護するつもりはもちろんないのだが、私のオーケストラ体験であまりにゲルギエフという指揮者が占める割合が高かったのかもしれない。ゲルギエフは私の好みの音楽づくりをするわけでもないし、普段からよく聴く指揮者でもないのに。それなのに、ゲルギエフミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者という立場から去らなければならなくなったというニュースに触れたとき、過去の政治的言動などから仕方ないことだと割り切れる心境には到底なれない自分がいる。

 第一に、そもそもゲルキエフミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団というコンビこそ、私の「演奏会通いの原点」であり、格別に記憶に焼き付いている組み合わせだから。あの決定的な体験がなければ、あそこで「音楽の力」を体感しなければ、あのときすすんでブルックナー9番を聴きに行っていなければ、確実に今の私はいないのだから。

 第二に、ゲルギエフウィーン・フィルハーモニー管弦楽団チャイコフスキー《悲愴》で「第2の故郷」ウィーンで起こったテロの犠牲者に静かな祈りを捧げたから。テロのニュースにどうしようもない哀しみを抱いた私に、ウィーンの人々と繋がる機会を与えてくれたから。あの唯一の体験に、私は感謝してもしきれない。あのときチャイコフスキー《悲愴》を振ったのがゲルギエフだったというのが、このわだかまりを一層大きくしているように思う。あれだけ心から泣いた演奏を、今後体験することはあるのだろうか。

 戦争はこうして、刃物を使って素敵な宝物に容赦なくキズを入れてくるのだなと最近ずっと体感している。戦争は絶対に許せるものではない。一度入ってしまったキズは容易には戻らないし、元通りになることはない。改めて今、この文章を書きながら、ゲルギエフウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるチャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》を聴き、その静寂の余韻を体感するとき、戦争に対する怒りと大切なものを奪われたような哀しみが襲ってきた。

 そして、ゲルギエフミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者の地位を追われてしまったというニュースに私はかなりショックを受けている。これが意味することは、私には大きすぎた。私の原点となったこのコンビをもう一度聴けるのを楽しみにしていた。もう一度あの音の渦に巻かれるのを心待ちにしていた。ほぼ毎年来日していたゲルギエフだったから、絶対にまた聴けると思っていた。それが、ほぼ永遠に実現する機会を失ってしまったのは、残念という言葉では言い表せないほどだ。未完成のブルックナー交響曲第9番のように、提示された第1楽章の第1主題は戻ってこないのだろうか。

 私は思わず、ゲルギエフミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団のコンビの録音を探し、気づけば注文していた。ブルックナー交響曲全集、マーラー交響曲第2番、第4番、第8番。アンヤ・ハルテロス(1972-)をソロに立てたマーラーの《リュッケルト歌曲集》他。恐らく戻ってくることのない第1楽章の第1主題の回帰を求めて。