Eine wienerische Maskerad' - und weiter nichts?

Oper, Wiener Walzer, ein bisschen Symphonie, usw.

#Beethoven250 にあたって~私とベートーヴェン~

 ベートーヴェン生誕250周年を迎えた。おおよその誕生日しかわからないが、誕生日だといわれているのが今日12月16日である。*1世界でいちばん有名な作曲家のひとりと言え、その楽曲が世界中で愛されていることは言うまでもない。年末になれば日本では交響曲第9番《合唱付き》がしばしば演奏されるし、交響曲第5番や第7番などは、クラシックに興味を持っていない方でもどこかで「聴いたことがある」のではないだろうか。

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ウィーン19区、交響曲第6番の着想を得たとされるベートーヴェンの散歩道(Beethovengang)*2と、交響曲第3番に因んで名づけられたエロイカ通り(Eroicagasse)*3の交差点。

 しかしながらなんとも不思議な作曲家だ。信じられないことに、つい1年前まではベートーヴェンは私が聴くクラシック音楽のレパートリー外だった。九響の三大交響曲で聴いた5番も、カルロス=クライバー指揮 / ウィーンフィルのCDで聴いた5番も、全く魅力的に思えなかった。正直この交響曲第5番という作品の第4楽章終盤のなかなか終わらないフィナーレに苦手意識があったほどである。しかし、去年の今頃には私はすでにブラームスのピアノ協奏曲にハマっていた他、何とブルックナーも日常的に聴いていたのである。そんな中でベートーヴェンにはなぜか苦手意識があり、当時CDなどを持っていて聴いた3曲の交響曲(5番、7番、9番)の中で特に5番がどうしても好きになれなかった。世間的には「あの動機」で最も親しまれている交響曲のひとつだが、正直魅力が全く分からなかったのである。

 

 私に転機が訪れたのは2019年11月24日。ヤノフスキ指揮、WDR響の北九州公演だった。当時ベートーヴェンが苦手であったにもかかわらず、ヤノフスキという指揮者の名前は知っていたために行くことにしたのである。それは大いに正解だったといえる。プログラムはベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番と交響曲第6番《田園》。この《田園》という曲自体には幼いころから比較的親しみがあり、幼いころの情景を思い返しながら聞けば何とかなるだろうと思っていたのである。

 しかし私はピアノ協奏曲第5番からすでに雷に打たれたような衝撃を受けた。実は演奏会前の予習すらままならない状態で臨んだ公演だったのだが、チョ=ソンジンの弾く軽やかなパッセージとヤノフスキの指揮する分厚いオケの音色が一体となって襲ってきて、まさに「運命の出会い」を感じさせるものだった。そして40分間聴き通して、今までにないぐらいの感動を覚えた。休憩時間になって後半を聴いてもいないのに、このコンビの交響曲第5番&第6番のCDを買い求めたほどである。このとき私は初めて「ベートーヴェンはこんなにも魅力的なのか」と思わされた。

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WDR響北九州公演での終演後のヤノフスキ(2019年11月24日、北九州ソレイユホール)。青で統一した服装にフェルトハット姿で登場、その気品ある姿に息を呑んだ。

 後半の交響曲第6番は得も言われぬ会心の演奏で、これには大満足し、終演後にヤノフスキに感謝の気持ちを伝えるために出待ちしたほどである。ヤノフスキは気品に満ちた紳士で、微笑をたたえながらドイツ語で丁寧に応じてくれた。今でもこのCDは宝物だし、ベートーヴェンの聴き始めの記念碑となっている。

 

 年末になり、小泉和裕指揮 / 九響の交響曲第9番に感銘を受けた私は、そのころにはある程度ベートーヴェンの魅力に気付きつつあった。初めは冗長だと感じていた第九にここまでの魅力を感じたのには何か理由があるはずだと思って、2020年はベートーヴェンの生誕250年のアニヴァーサリーだし、何かしら「ベートーヴェン交響曲全集」を手に入れてそれを聴いてみようと感じていた。

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フィリップ=ジョルダン指揮、ウィーン響によるベートーヴェン交響曲全集。

 年明けになり、私がそんな「交響曲全集」と運命的な出会いを果たしたのが、以前ご紹介したフィリップ=ジョルダン指揮 / ウィーン響のものである。テンポが速く整理されており、構造的な音色を響かせるこの演奏の数々に虜になり、有名な第3番でさえ、このとき初めて魅力的な作品に思われたのである。もともとリズム感、テンポ感に長がある作曲家という認識ではあるが、ジョルダンの抜群のセンスはそんな楽曲の性質を引き立てていて、個人的にかなり好みに突き刺さるものとなった。それまである程度聴いていた交響曲第6番、フルート好きだからという理由で聴いていた第7番に加えて、他の偶数番にも惹かれたほか、何といっても散々苦手意識があったあの第5番でさえ素晴らしい演奏に思えて、何度も聴いた。

 その後のコロナ禍もあり、このベートーヴェン交響曲全集にはかなりお世話になった。毎日のように引っ張り出してきては聴き、そのたびに新鮮さと新たな発見があって、心底楽しい演奏だった。その結果、このベートーヴェン交響曲全集は、買って10か月とは思えないほどボロボロになってしまったのである。この全集に学んだことも多いし、何といっても恩人であるフィリップ=ジョルダンの音楽にも同時に惹かれた。これまで全く聴いてこなかったベートーヴェンに一瞬にしてハマってしまい、その後他の作品も、唯一のオペラ《フィデリオ》も含め探求するきっかけとなったのには理由があるように感じられた。そうして彼の演奏を聴いていくうちに、彼の音楽自体に激しく惹きつけられてしまった。今年の9月にはブラームス交響曲全集も手配したほどである。

 また、ヤノフスキのベートーヴェン交響曲全集もまた、あの運命的な公演からちょうど1年経った先月24日に入手することができた。彼のベートーヴェンも速いテンポで引き締まった演奏だが、特に第7番の演奏には目を見張るものがあった。これからどんどん聴いていきたい全集のひとつである。

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ヤノフスキ指揮、WDR響のベートーヴェン交響曲全集。音楽だけでなく、内装もかなり凝っている。

 ベートーヴェンというのはとても不思議な作曲家である。それまでほぼほぼ無関心だったのに気づけば虜になっている。すごく魅力的な作曲家に思えてくる。リズム感に関してはかなり引き込まれるところであり、そのフレーズも親しみやすい。指揮者によって解釈の違いを楽しみやすく、特に交響曲第9番をよく聴いて聴き比べをしていた時期もあった。

 個人的な感想としてだが、交響曲第6番や七重奏曲(作品20)、交響曲第2番などを聴くと必ず若い白ワインが彷彿とさせられる。しかしそれが甘口なのか辛口なのかは指揮者による。例えばヤノフスキ指揮、WDR響の実演で聴いた交響曲第6番は、第1楽章から比較的速めで音を立てていた印象から私にはホイリガーのように感じられた。しかし、小泉和裕指揮、九響で聴いた交響曲第2番の第2楽章は、その構造的な音楽づくりにもかかわらず、九響の柔らかく分厚い弦もあって甘口の白ワインのように感じられた。それに対し、ウィーン室内合奏団の七重奏曲を聴いていつも思い浮かべるのは、大好物の冷えた辛口のグリューナー・フェルトリナーである。しかしいずれの場合にせよ、思い浮かべる光景は常にカーレンベルクからハイリゲンシュタットに至るまで広がっているワイン畑なのである。まさに《田園》的な趣向が感じられるこれらの曲に私がまず惹かれたのは言うまでもない。

 聴くたびに何かしらの発見があるジョルダンベートーヴェン交響曲全集と、聴き始めのきっかけを作ってくれたヤノフスキのベートーヴェン交響曲全集。このふたつの全集を軸として、今後も室内楽からオペラに至るまでさまざまな楽曲を聴いていきたいし、まだまだ開拓できていない楽曲も聴いていきたいと思う。

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3月の柔らかな陽光に包まれたベートーヴェンの散歩道(Beethovengang)。ウィーンはとりわけ春が魅力的に感じられる。