Eine wienerische Maskerad' - und weiter nichts?

Oper, Wiener Walzer, ein bisschen Symphonie, usw.

オペラの聴き始めについて

 

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ヴェルディ:歌劇《仮面舞踏会》(ウィーン国立歌劇場、ジャンフランコ・デ・ボシオ演出)*1

 思えばオペラを本格的に聴き始めてから3年が経つ。初めはヴェルディの《仮面舞踏会》から入り、プラシド・ドミンゴを中心に聴くにつれてヴェルディの《トロヴァトーレ》《椿姫》《オテロ》、ジョルダーノの《アンドレア=シェニエ》、プッチーニの《トスカ》…とイタリア・オペラにハマっていったのが私の聴き始めだった。ドミンゴというテノールを聴き始めたのもたまたま私が知っていたオペラ歌手が彼だっただけで、別にそれ以外の理由もなかった。しかし、彼の出演している作品を聴くにつれて、ドミンゴの魅力にどんどん深入りしてしまったのは言うまでもない。実際に私はウィーン国立歌劇場ドミンゴが歌うシモン=ボッカネグラを聴きに遠征するほど、ドミンゴが好きなのである。

 しかしながら、最近3週間はほぼイタリア・オペラから離れ、R. シュトラウスばかり聴いている気がする。《ばらの騎士》をウィーン国立歌劇場で観てからというもの、シュトラウスのオペラの魅力に触れる機会も増えた。とはいえ、こうして聴くオペラのレパートリーを拡大させていくのは楽しいことながら、簡単なことではなかった。シュトラウスのオペラに触れるようになって、それは痛感させられることも多かったのである。

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ビゼー:歌劇《カルメン》(ウィーン国立歌劇場フランコ・ゼッフィレッリ演出)*2

 というのは、かつて私はイタリア・オペラのレパートリー拡張の際、まずはWikipediaなどでストーリーの把握、次に対訳サイトを見ながら音楽を聴くということをしていたからである。対訳サイトを目で追いながら歌手の歌を聴き、その音楽がどの場面の音楽なのかに集中することで、次聴くときからは対訳を追わなくても、比較的楽しめるようになった。私は初めて触れる作品に対し、できるだけ映像を見ないようにしていた。映像を見ること自体は悪いとは思っていなかったが、実際に舞台を見てみると、最近の演出には挑戦的なものも多いことがわかる。そうした挑戦的な演出が、もし自分がその作品を初めて観るときに当たってきたら…。まず驚くだろうし、場合によってはその作品を忌避してしまうかもしれない。人と知り合ったときに第1印象のインパクトが強いのと同じで、オペラ作品に初めて触れたときも、最初に観た舞台の演出は、その作品をイメージづけてしまうものだと私は考えている。そういうわけで、ある程度音楽に触れてから実際に映像で舞台を見て、もしそうした演出に触れてしまった場合でも、そのインパクトを和らげたいというのが、私の考え方だった。

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マスカーニ:歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》(ウィーン国立歌劇場ジャン=ピエール・ポネル演出)*3

 だから、オペラの聴き始めの頃、すなわち私がドミンゴに導かれてレパートリーを増やした時期こそ、映像からその作品に入っていたが、しばらくすると私は音源のみからオペラを聴き始めるということを試みるようになった。例えば、ヴェルディなら《ナブッコ》《ルイザ・ミラー》《リゴレット》《アッティラ》《シモン・ボッカネグラ》《ドン・カルロ》、プッチーニなら《ボエーム》《トゥーランドット》、ドニゼッティなら《ランメルモールのルチア》、モーツァルトなら《フィガロの結婚》《コジ・ファン・トゥッテ》《イドメネオ》、R. シュトラウスなら《ばらの騎士》…こうした作品はすべて音源から入った。イタリア・オペラのレパートリー拡張は、比較的うまくいったと思う。特にアリアが独立しており、形として分かりやすいシェーナーカヴァティーナーカバレッタ形式のオペラは場面が容易に想像でき、後に映像を見て納得させられることも多かった。聴かせどころがわかりやすく、まずWikipediaなどで全体像をつかんで、その後対訳にかじりついて一度通して聴きさえすれば、次に聴くときからは対訳がなくても、ストーリーが頭に入っているので楽に聴けるのである。その作品に対する第1印象を大事にし、できるだけ苦手な作品を作らないようにする目的もあって、私はしばらくはこの姿勢を崩さなかった。たとえ《シモン・ボッカネグラ》のような、アリアが少なく、音楽を聴くだけではストーリーを覚えづらい作品でも、このスタイルで頑張っていたのである。

 別にこのスタイルが悪いとは言わないし、私自身、まだ聴けていないオペラの中でも、形式的にわかりやすい作品では今後も取り入れていきたいやり方である。実際、最近レパートリーになったドヴォルザークの《ルサルカ》などはこのやり方で聴き始めた。だから、「音楽から入りたい」「第1印象からくるインパクトを軽減したい」などと考える方にはおすすめできる方法でもある。ただ、このやり方だと弊害があるのも事実で、たとえ形式的にわかりやすくても、オペラでは実際の舞台と音楽の結びつきが大事で、それが全く分からないのである。それに、私の場合は外国語に対して抵抗がほぼないが、言語が苦手な方からすると、この「対訳とにらめっこ」という作業は苦行以外の何物でもないとも思うのである。

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R. シュトラウス:歌劇《影のない女》(ウィーン国立歌劇場、ヴァンサン・ユゲ演出)*4

 「まずWikipediaなどでの全体像の把握、その後対訳を追いながら」という方法がうまくいかなかったのがR. シュトラウスのオペラである。私はR. シュトラウスを聴き始めてすぐは、例えば《ばらの騎士》や《エレクトラ》などはその方法をとっていた。しかし、ある時気の迷いから《影のない女》という作品を音楽だけで聴き始めたとき、全く訳が分からなかった。何回か聴いてストーリーの把握はできたものの、完全になにも見ずに聴けるようにはならなかった。そこで私は初めて映像を見ることにした。映像を見ながらこの作品を聴いていくと、今まで全く分からなかったこの作品の魅力を知ることができた。なぜこの場面でこの音楽なのか、というのがインパクトとして残り、今では対訳なしでも十分楽しめるようになった。また、わかりやすい《ばらの騎士》でも、舞台を実際に観たことで、はるかに楽しめるようになった。今でもこの作品は深く掘り下げるのが楽しい。初めは長く感じられた3時間20分も、今では全く長くない。《アラベラ》も同様で、初めは弛緩して聴こえていた音楽も、舞台を観てから聴くと、納得できる部分が多くなった。

 こういう経緯から、私が今、オペラを聴き始める方におすすめしたいのは、聴き始めは伝統的で定評のある演出の映像を観るということである。前衛的、挑戦的な演出も多い最近の舞台だが、それを初めに観てしまうと、後々まで大きな影響を及ぼしてしまう。例えばパリ歌劇場の宇宙を舞台にした演出*5 で《ボエーム》の「自宅初演」をするよりは、ウィーン国立歌劇場での伝統的なゼッフィレッリ演出*6 で聴き始める方が良いのではないかという考えである。さらに、最近の演出は伝統的な演出を踏まえたうえでいろいろ挑戦していることも多く感じる。でも、初めて観るときに、どの演出がそういう「変なインパクトが少ない」ものかというのはわからないかもしれない。私の場合は、伝統的な傾向が比較的強い、ウィーン国立歌劇場の映像を好んで観ている。特にオットー・シェンクやフランコ・ゼッフィレッリジャン=ピエール・ポネルといった演出の舞台には比較的安心して観られるものが多いように感じる。

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R. シュトラウス:歌劇《ばらの騎士》(ウィーン国立歌劇場、オットー・シェンク演出)*7

 《ばらの騎士》に関して言えば、私が見た限りではそこまで奇抜な演出は多くないが、やはり私が最初におすすめしたいのはシェンク演出である。ウィーン国立歌劇場バイエルン国立歌劇場で長年使われてきた舞台で、ウィーン国立歌劇場では現在も使われている。*8

 

 今日はたまにこういうオペラの聴き始めについて書いた。自分自身、聴き始めの頃を思い出しながら懐かしく感じたり、これからどのようにオペラを聴いていこうかと思わせられたりするなどできてよかった。オペラを聴き始めたいと考えている方がもしいるのなら、参考にしていただければと思う。最後に、オペラの聴き始めとして、ヨハン・シュトラウスの《こうもり》などのオペレッタを使って導入するのも、比較的有効なのではないかと思う。現に私はオペレッタから聴き始め、オペラに足を踏み入れたが、オペレッタで軽妙ながら舞台に親しみを持てたことで、シリアスなオペラでも抵抗なく見ることができるようになり、面白いと感じるようになったのかもしれない。

 

 それではこの辺で。