Eine wienerische Maskerad' - und weiter nichts?

Oper, Wiener Walzer, ein bisschen Symphonie, usw.

ベートーヴェン: 交響曲第9番のアニヴァーサリーに寄せて(2024年5月7日)

 そういえば、今年の演奏会も残すところ年末の小泉和裕指揮、東京都交響楽団によるベートーヴェン: 交響曲第9番を残すのみとなった。今年はこの楽曲が初演されて200周年、引っ越したばかりでアニヴァーサリー当日はブログにまで手が回らず、FacebookInstagramに長文を投稿したのだった。折角の記念年なのでブログにもこの駄文を掘り返しておきたい。 

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 ベートーヴェン: 交響曲第9番 ニ短調 作品125。あの『合唱付き』初演から今日で200周年、アニヴァーサリーに寄せて一音楽愛好家として駄文を寄せたい。

 この曲を初めて聴いた時は長さに閉口した。最初に聴いたCDは、ラトル&ウィーンフィル交響曲全集から。当時としてはかなり斬新なアプローチで、編成を削ってビブラートを絞りつつも、ラトル特有の揺らしが効いてくる演奏。正直退屈した。第1楽章からゆったり… 第2楽章の永遠に繰り返すティンパニのリズム。第3楽章は美しいカンタービレだが、そこに到達するまでに体力を使い果たしていた。そして第4楽章… 合唱が入ってこない。呈示部が済むと漸く展開部でバリトン独唱が入ってきた。長かった。だから途中で寝落ちした。後から気づいたが、この録音は最初に聴くべき録音ではなかった。この曲に慣れてから聴いたら面白かったのだけれど。

 私はベートーヴェンという作曲家の、特に奇数番の交響曲に時として見られる特質に共感できない。悪く言えば、その革命的な押し付けがましさであり、同調圧力である。特に「第九」などその典型で、先に触れた第2楽章の延々と続く同じリズムで迫り来る音楽もそうだが、何より第4楽章の歌詞がいただけない。あれだけ美しいカンタービレの後に「おお友よ、このような音楽ではない」から始まり、挙げ句の果てには「ひとりの友の友となるという大きな成功を勝ち取った者、心優しき妻を得た者は彼の歓声に声を合わせよ。そうだ、地上にただ一人だけでも心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ。そしてそれがどうしてもできなかった者はこの輪から泣く泣く立ち去るがよい」という「ボッチは出て行け」宣言である。この同じ方向を「向きましょう」ではなく、「向け、さもなくば出て行け」という異質な同調圧力には居心地の悪さを感じるのであった。

ベートーヴェン: 交響曲第9番。私の中で何かが変わった感覚のあった録音たち。


 しかしながら、ベートーヴェンの「拳を叩きつけるような調子」「フィナーレへ向けての限りない高揚」(岡田暁生西洋音楽史』)は、時としてそんなことも忘れさせるものなのである。実際、私も第9番に限らず、ベートーヴェン交響曲を聴く際に気付けば曲の持つ熱量に呑まれる体験をしてきた。この曲を初めて聴き通せたのは、何と実演だった。2019年12月の小泉和裕指揮、九州交響楽団。迫力に呑まれる心地がした。振り返れば、小泉監督の比類ない構築力と牽引力、そして何より緊張感がこの上なく作用していた。速めのテンポで全く弛緩とは無縁、この曲が持つエネルギーを還元して渦を巻き起こした。あっという間に第3楽章に入り、カンタービレでは一転して心洗われるような清らかな旋律。もう圧倒されていた。そして区切れなく突入した第4楽章。合唱も気付けば終わってしまっていた。

 小泉和裕の緊張感のある指揮から生み出されるゴツゴツと角張った質感、随所で同じフレーズを意識させるような工夫、全く弛緩しない緊張感。まるで両腕から各奏者へ糸で張られたような、指揮者に対する奏者の反応の速さも素晴らしかった。この小泉和裕と九響の音楽への没入が莫大なエネルギーを放射しつつ渦巻き、フィナーレへ向けて「そんなの関係ない」と思わせられるような高揚を生んだに違いない。それゆえ、この曲は小泉和裕という指揮者の解釈が私の中で最もしっくりくるのである。

 このような楽曲に対する没入感は一期一会のもので、指揮者とオーケストラが相思相愛でないと絶対にできないと私は確信する。意欲的に熱量を吹き込み煽る指揮者とその熱量を増幅させるオーケストラ、この関係は時に音響を飽和させてしまうこともあれど、そのとき居合わせた人しか体験できない固有の興奮を沸き起こす。それはオペラかもしれない、あるいはロマン派音楽かもしれない。でも、間違いなくベートーヴェンという作曲家は、そしてその中でも1時間以上かけてエネルギーを増幅する交響曲第9番は、マスを巻き込むという点では他の曲を遥かに凌駕する熱狂を巻き起こす存在なのであろう。

 私はこの曲に出会えて幸運だった。ベートーヴェン同調圧力に呑まれて幸運だった。だからこそ、何回も小泉和裕「第九」を聴きに行きたい。またあの巨大なブラックホールの中に吸い込まれ、逆上せあがる体験をしたい。そんなことをだらだらと考えながら、今夜もベートーヴェン「第九」を聴いている。(2024年5月7日)

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 今年の第九には、迷いなく小泉和裕監督の演奏会を選んだ。再びあのパワー・新鮮さに触れたいので、演奏会まではこの曲の録音を聴くのは控えておこう… などと思った。楽しみだ。