Eine wienerische Maskerad' - und weiter nichts?

Oper, Wiener Walzer, ein bisschen Symphonie, usw.

フィリップ・ジョルダンのブラームス交響曲全集

 

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フィリップ・ジョルダン(ウィーン響)。*1

 フィリップ・ジョルダンという指揮者を聴き始めて半年以上経った。思えば初めてまともにベートーヴェン交響曲をすべて聴いたのは、ジョルダン指揮、ウィーン響のものを聴いたときだった。それからというもの、ジョルダンに注目して、さまざまな録音を聴いた。ウィーン響とのシューベルトの《グレート》《未完成》、チャイコフスキーの6番《悲愴》、パリ・オペラ座管とのベートーヴェン交響曲全集(映像)、ムソルグスキーの《展覧会の絵》…。ロシアものは何となくあっさりしすぎていて、「怖さ」「凄み」に欠ける演奏だと思ったときもあったが、《展覧会の絵》の話をとある指揮者の先生としたときに「これをロシアものと捉えるかフランスものと捉えるかによっても解釈は変わってくるよね」と言われてハッとした。確かにもともとの作曲はムソルグスキーだが、オーケストラ編曲はラヴェルのものなのである。それをパリ・オペラ座管でやるということ…。なるほどと思わされた。

 そんなジョルダンが今回ウィーン響とブラームス交響曲全集を出しているので、これも即座に予約して購入した。ベートーヴェン交響曲全集で生かされていた構造的な音楽づくりがどのように生かされているのか、はたまた別の音楽に生まれ変わっているかが知りたかったのである。

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フィリップ・ジョルダン指揮、ウィーン響によるブラームス交響曲全集。2019年に楽友協会大ホールで録音されたもの。*2

 結論から言うと、またしても良い意味でフィリップ・ジョルダンにしてやられた。前回のベートーヴェン交響曲全集で見られたクリアで新鮮な響きを、ブラームスでも最大限活用しているように感じられた。楽器ごとの響きは調和しあいつつも、決して混ざり合った濁りのある響きはならない。すべての楽器の特長を生かして、そのそれぞれの音を明確にしている。ただ、そこに押しつけがましさは存在しない。細やかに配慮され、丁寧に形作られた音の響きながら、その工夫は音楽、楽曲の魅力を引き立てるのに貢献しているだけであり、決してそれ以上ではないのである。ただ、ジョルダンの作り出す響きは彼に特異的であり、他の指揮者にはないものである。すべてのパートの良さを引き出し、それらを構造的に重ね合わせていくことで、ある楽器が他の楽器をかき消したり、邪魔したりすることはないのである。それぞれの楽器を心地よく伸びやかに歌わせ、クリアな響きを作り出す。ベートーヴェン交響曲全集でもみられた解像度の高い演奏という彼の良さがここでも聴かれる。

 しかしながら、ベートーヴェンの演奏に比べると、明らかに低弦の存在感は増しており、ブラームスらしさがそこで表れている。そこには重心の低さがある。ベートーヴェンのときも軽やかな演奏ながら低弦の存在感がそれとなく示されており、決して軽すぎない音楽づくりが見られた。今回のブラームスでは重心を一層低くし、それが全体的な立体感のある演奏に繋がっている。こってりとした重さではなく、あっさりとした層状に響いてくる音楽に存在感が増し、どっしりとしていつつも自然な流れとして聞こえてくる感覚である。しかも軽すぎず、ブラームスらしさがある。本当に不思議な響きである。

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フィリップ・ジョルダン(ウィーン響)。*3

 今回のブラームス交響曲全集で初めて交響曲第1番の魅力に気付かされた感じがする。テンポは速めで切り込んでいくような部分がありつつも、第2楽章である一定以上の存在感がある低弦、柔らかく品よく鳴らした管の上を屋根で覆うかのようにヴァイオリンソロが響いたときには、とりわけ感動させられた。構造的に鳴らして、目立つヴァイオリンソロで他のパートをかき消さず、ソロ自体は目立ちはするけれど他のパートの動きをそれとなく堪能させてくれるような演奏だった。あるパートを強調しすぎたり、あるいはある楽器だけに勢いを与えたりすることがなく、それもまたクリアな響きの一助となっている。

 この全集でとりわけ気に入ったのは3番だった。3番自体は比較的聴く頻度は高かったものの、クリアな音楽の中に翳りを見出すことができる。特に第3楽章での管の柔らかく牧歌的な響きは非常に美しく、この演奏の白眉としてあげたい。勢いもありながら繊細さも随所で見られ、何度でも聴きたいと思わせられるような名演奏だと思う。

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フィリップ・ジョルダン(ウィーン響)。*4

 4曲ともに共通して言えることは、フィリップ・ジョルダンの音楽の特徴である、テンポ速めの切り込むような演奏、特に弦楽器で見られるキレの良さと、押しつけがましさの全くないきめ細やかな配慮・工夫、そして構造的、クリアに鳴らす新鮮な響きと解像度の高い演奏ということになる。これらが総合的に同居していることで、ベートーヴェンと同様、楽曲の良さを最大限に生かしている。そしてその構造的な響きを支えているのは低弦の存在感である。重心をある程度低く保ち、ただ重くなりすぎることは決してない。このバランス感覚は彼の最大の魅力のひとつであり、これはオペラ経験からくるものではないかと勝手に推察している。オペラでの、歌手の歌声を潰すことなくオーケストラを聴かせるには、あるいは歌手の歌声で繊細なオーケストレーションをかき消さないためにはどうしたらよいか、長年のオペラ座経験から緻密に作り上げてきたジョルダンの至芸があると私は思う。それを前回のベートーヴェン交響曲全集、そして今回のブラームス交響曲全集をはじめとするオーケストラでの演奏のときに最大限生かしているのではないだろうか…。

 

 私は今年最大の成果のひとつとして、フィリップ・ジョルダンの演奏と出会ったことを間違いなく挙げる。ジョルダンは今や私の最も推している指揮者であり、こんなに好みを隅まで突いてくるような演奏家にはこれまで出会えなかった。だからこそ、コロナ禍が明けたら、必ずジョルダン遠征のためにウィーンまで行くつもりである。オペラもオーケストラのコンサートも絶対に聴きたいと思う。すべてはベートーヴェン交響曲全集から始まったことだが、その成果は本当に大きいものだったと今になって思う。

 

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 それではこの辺で。