Eine wienerische Maskerad' - und weiter nichts?

Oper, Wiener Walzer, ein bisschen Symphonie, usw.

理想のマルシャリン~リーザ・デラ・カーザ

 新型コロナウイルス感染拡大が続いている。この調子では夏休みもあまり移動しないほうがいいのではないかと思えてくる。インフルエンザなどと異なり、夏でも感染拡大は続いており、ますます厄介である。私はレポートやテストに追われ…と思っていたら、対面でのテストは9月に延期になってしまった。この夏はバイトと課題で忙しいはずだが、そんな仕事の合間にデラ・カーザの歌うマルシャリン(ばらの騎士)やアラベラ、アリアドネナクソス島のアリアドネ)、マドレーヌ(カプリッチョ)などを聴いて心を安らげるのである。

 

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1972年、チューリッヒ歌劇場にて。デラ・カーザ(右から2番目、マルシャリン、ばらの騎士)のデビュー30周年のメモリアル公演。*1

 今日の話題はそんな魅惑のスイス人ソプラノ、リーザ・デラ・カーザ(1919‐2012)である。デラ・カーザは私の理想とするマルシャリン(ばらの騎士)であり、アラベラであり、マドレーヌ(カプリッチョ)であり…シュトラウス・プリマである。私は彼女ほどマルシャリンを体現しているソプラノを知らない。それはライニングとも別のマルシャリン像だと思うし、もちろんロットとも、シュヴァルツコップとも、現代最高のシュトラウス・プリマだと私が思うニールンドとも全く違うマルシャリンだと思う。また、他のシュトラウスのオペラのプリマ役にしても、他のドイツ系ソプラノとは断然異なるイメージを私は持っている。

 デラ・カーザには、輝かしい高音がある。よく白銀と喩えられる美声だが、その美声には決して押しつけがましいところがない。簡単に言ってしまえば、スピント系ソプラノで特にありがちな、耳がキンキンするような高音域ではなく、耳に心地よい、浸透力を伴ったにじみ出る感じのする高音である。このじわっと空間に広がっていくような高音域は弦楽器のレガートのようで、独特の気品を生み出すと私は考えている。決して線の太い声とは言えないが、それでも柔らかい輪郭を伴った、包み込むような温かさがある感じがする。線はそんなに太くないのにしっかりとした奥行きを持ち、空間的に響く。そこには品格と落ち着きが感じられる。

 デラ・カーザの声はひとたび聴いてしまえばだれが歌っているか分かってしまうほどの、個性のある美声である。清純さのある声で、ビブラートは少なめ。無駄なところが全くない、澄んだ水のような声である。中音域から高音域にかけては特に充実しており、瑞々しさを感じさせる。マルシャリンを聴いているとき、この瑞々しさによって、マルシャリンの設定上の年齢である30代前半もきちんとクリアしていると思う。多少ピッチは高めで、包み込むような柔らかさのあるデラ・カーザの声は、マルシャリンにぴったりなのである。

 デラ・カーザの低音域は多少喉の奥からになり、フラットになるところも多いが、これもまたマルシャリンの役作りには一役買っていると思う。それはマルシャリンの "Ein halb Mal lustig, en halb Mal traurig" という性格である。この多少フラットになりがちな低音は後者、マルシャリンの苦悩や葛藤を表すにはぴったりなのである。特に《ばらの騎士》第1幕のモノローグで、落ち着きのあるパッセージの中にフラットで不安定な低音が挟まると、マルシャリンの心の揺れを感じ取ることができる。

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リーザ・デラ・カーザ(リュシール、ダントンの死)。ウィーン国立歌劇場(1967年)。*2

 ここまでいろいろ書いたが、まとめると次のような感じになる。デラ・カーザの声は高音域を中心に、清楚で威圧感なく空間的に響く。この浸透力のある、落ち着いた美声とはマルシャリンの気品を表現するのにぴったりである。そして、彼女の声には瑞々しさがあり、若々しさもそれで表現することができる。マルシャリンの30代前半という年齢を表現するだけでなく、アラベラやマドレーヌ(カプリッチョ)でもこの若々しさは十二分に生かされる。そして多少フラットな低音域。これはマルシャリンの苦悩と葛藤を表現するのに適している。

 艶やかさと気品、落ち着き、わざとらしさや威圧感の全くない控えめな歌いまわし、そして芯のある知的さ。これこそ私の理想的なマルシャリンを作り出す要素といえる。例えばライニングのマルシャリンももちろん素晴らしく、そこにはいささか古風な趣がある。でも、デラ・カーザのマルシャリンには、ライニングに見られる落ち着きだけでなく、ライニングに比べてピッチが高いためか、若々しさがまだ残っている。そこに私は惹かれる。

 デラ・カーザのこういった特徴はやはり気品を必要とする役にはうってつけである。シュトラウスでいえばアラベラはもちろん最大の当たり役のひとつだし、マドレーヌ(カプリッチョ)の美しさは他の追随を許さない。アリアドネに見られる悲しみから喜びへの感情変化も、彼女の声にぴったりである。

 モーツァルトももちろん素晴らしい。例えばアルマヴィーヴァ伯爵夫人(フィガロの結婚)。これはマルシャリンやマドレーヌに通じる気品がある。ドンナ・エルヴィーラ(ドン・ジョヴァンニ)も素晴らしいし、パミーナ(魔笛)での若々しさも中音域から高音域の瑞々しさに裏打ちされた素晴らしいもの。

 そんな彼女の声の特長は、シュトラウスの《4つの最後の歌》として集約できる。私が大好きな音源で、気品と落ち着きをもって歌われるこの歌には惚れ惚れとする。これはぜひ聴いていただきたい音源である。

www.hmv.co.jp

 

  デラ・カーザ、ウィーン国立歌劇場アーカイブで調べると驚くべき回数、こうしたモーツァルトシュトラウスの役を歌っていることがわかる。アルマヴィーヴァ伯爵夫人(フィガロの結婚)は64回、ドンナ・エルヴィーラ(ドン・ジョヴァンニ)は30回、パミーナ(魔笛)は38回。シュトラウスで言えばアラベラを32回、アリアドネナクソス島のアリアドネ)を40回、マドレーヌ(カプリッチョ)を21回、マルシャリン(ばらの騎士)を43回歌っている。また、《ばらの騎士》ではマルシャリンの他にオクタヴィアンやゾフィーも歌っているし、クリソテミス(エレクトラ)のようなドラマティックな歌唱が求められる役も対応していることがわかる。この適応範囲の広さもまた魅力的である。*3

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リーザ・デラ・カーザ(左、パミーナ、魔笛)とヴァルター・ベリー(パパゲーノ)。1959年。*4