ヨーゼフ=シュトラウスについて
ふと気になってウィーンフィルのニューイヤーコンサートを聴き返している。やはりどんな時でも、ウィンナ・ワルツというのは元気をくれるものだ。今となっては昔のことだが、クラシック音楽を聴き始めてから数年間はウィンナ・ワルツしか聴いていなかったことを思い出した。初めはヨハン=シュトラウス、そこからヨーゼフ=シュトラウスの作品に惚れた。
ヨーゼフ=シュトラウスはヨハンの弟であり、シューベルトのような情緒的な作風が魅力的である。ヨハン自身、「才能があるのはむしろヨーゼフで、自分はただ人気があるだけ」という言葉を残している。*1その詩情溢れる作風は、R.シュトラウスにも影響を与え、歌劇《ばらの騎士》第2幕のオックスのワルツが生まれた(後述)。
そんなヨーゼフの作品の中で、私が最も好きな作品がワルツ《水彩画》作品258。この作品は、ボスコフスキーの演奏で惚れた。「水彩画の柔らかさ」を表現した作品らしいが、それにふさわしい情緒的で柔和な趣がある。中でも以下に挙げるアバドの演奏は私の理想に近いもので、何度も何度も聴いた。とことんこの作品が好きなのである。
続いて、その6日後に初演されたワルツ《わが人生は愛と喜び》作品263も私の大好きな作品である。ドイツ映画《会議は踊る》で、同じく傑作ワルツ《天体の音楽》作品235とともに使われたことでも知られている。*2柔らかさの中に、弾むような楽しさを感じさせる作品。特に第3ワルツで解放感を感じ、とても幸せな気持ちになれる。
このワルツは、愛すべきオーストリア人指揮者フランツ・ウェルザー=メストの演奏で知ったが、何度聴いてもウェルザー=メストの気品のある音楽には恍惚としてしまうくらいの魅力がある。魔法のような音楽づくりだと思う。
そしてもうひとつ紹介しておきたいのが、ワルツ《ディナミーデン》作品173である。これこそ第1ワルツが《ばらの騎士》第2幕のオックスのワルツに引用された作品である。*3全体的に神秘的で、何か別の世界にいるような雰囲気のあるワルツで落ち着いているが、緩急の使い方、コーダの盛り上げ方などに作曲者のすごさを感じる。でもいちばんヨーゼフらしいのは、ワルツ《天体の音楽》作品235でもそうだったが、序奏だと思う。曲を静かに始め、だんだんとその世界へと引き込む序奏。
これが《ディナミーデン》の第1ワルツ。続いて《ばらの騎士》第2幕のオックスのワルツを見てみる。
何となくわかるかと思うが、やはり聴いていただいたほうが早いので、こちらもバレンボイムの演奏を聴いていただきたい。
ウィンナ・ワルツを聴いていると心が晴れ晴れとするのだが、このヨーゼフ=シュトラウスの場合には、哀愁のような、不思議と寂しさなども感じる。まるで交響詩みたいに、情景が浮かんでくる作品も多いし、R.シュトラウスもそんな彼の作風に惹かれたに違いない。シュトラウス・ファミリーの中では私が最も気に入っている作曲家だが、没後150周年のアニヴァーサリーだった今年のニューイヤーコンサートにあまり登場しなかったのはもったいないと思う。せっかく没後150周年という、世にヨーゼフ=シュトラウスの作品を広めるきっかけがあったのだから、もっと多くの人に彼の魅力が伝わるとよいのに、と思いながらこの記事を書いていた。